資本市場は本来、企業の成長に必要な資金を供給する仕組みです。しかし現在の日本では、その役割が大きく変質しています。企業が資金を調達する場ではなく、むしろ資金を「外へ流出させる場」として機能しているという指摘があります。
背景にあるのは、ROEやPBRといった指標の過度な重視です。本来は経営の質を高めるための指標が、逆に企業の成長を抑制する要因になっている可能性があります。
本稿では、資本市場の「逆機能」とは何か、その構造と影響、そして今後の再設計の方向性について整理します。
資本市場の本来の役割と現在の変質
資本市場には、企業の成長資金を供給するという根本的な役割があります。株式発行などを通じて資金を集め、その資金が設備投資や研究開発に使われることで、企業価値の向上と経済成長が実現されます。
しかし現在の日本では、この流れが逆転しています。
企業は市場から資金を調達するのではなく、配当や自社株買いという形で資金を市場へ還流させています。いわば「資金を出す側」へと変化している状態です。この規模は数十兆円規模に達しており、資本市場の構造そのものが変わりつつあります。
ROE・PBR重視がもたらした経営の短期化
この変化を促したのが、ROE(自己資本利益率)やPBR(株価純資産倍率)といった指標です。
これらの指標は本来、資本効率を高めるための有効なツールです。しかし現実には、以下のような行動を企業に促す側面が強まっています。
- 利益の内部留保より配当を優先する
- 投資よりも自社株買いを重視する
- 中長期投資を抑制し、短期利益を確保する
結果として、企業は将来の成長よりも「今期の数字」を重視するようになります。
特に日本では、企業の成長率が低迷する中で、ROE8%といった目標値が半ば「ノルマ化」したことが問題を深めました。成長によって達成できない場合、コスト削減や資産売却で帳尻を合わせるしかなくなります。
これが資本市場の「逆機能」の本質です。
「逆機能」が企業行動に与える影響
資本市場が逆機能を起こすと、企業行動は大きく変わります。
第一に、成長投資の抑制です。研究開発や人材投資は短期的な利益を押し下げるため、敬遠されやすくなります。
第二に、財務戦略の偏重です。本来は事業戦略が中心であるべき経営が、資本効率の調整に偏るようになります。
第三に、上場の意義の低下です。市場から資金を調達するメリットが薄れ、むしろ配当圧力などの負担が大きくなる場合、非上場化が合理的な選択となります。
これは、日本経済全体にとっても深刻な問題です。資本市場が成長企業を支えるどころか、排除する方向に働いてしまうためです。
高度成長期との対比から見える本質
かつての日本企業は、現在とは異なる経営スタイルを採っていました。
配当は安定的であり、必ずしも高水準ではありませんでした。その代わり、企業は内部資金を活用して成長投資を行い、株主は株価上昇という形でリターンを得ていました。
つまり、
- 企業は長期成長を重視する
- 株主はキャピタルゲインで報われる
という役割分担が成立していたのです。
また、米国の巨大テック企業も初期段階ではROEが低い状態が続いていましたが、市場はそれを問題視しませんでした。成長期待が重視されていたためです。
ここに、現在の日本市場との大きな違いがあります。
なぜ日本で歪みが生じたのか
この歪みの背景には、複数の構造要因があります。
まず、長期にわたる低成長です。企業の成長機会が限られる中で、資本効率だけが独立して評価されるようになりました。
次に、金融環境の変化です。間接金融のリターンが低下する中で、直接金融に高いリターンが求められるようになりました。
さらに、ガバナンス改革の影響もあります。スチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス・コードは本来、企業価値向上を目的としたものですが、形式的な指標重視に偏る場面も見られます。
これらが重なり、「資本効率=善」という単純化された評価軸が定着しました。
資本市場の再設計に向けた視点
今後の資本市場には、機能の再設計が求められます。
重要なのは、ROEやPBRといった指標を否定することではなく、その位置づけを見直すことです。
具体的には以下の視点が必要です。
- 短期指標と長期成長のバランス
- 投資家の評価軸の多様化
- 成長投資を許容する市場環境の整備
特にスチュワードシップ・コードは、短期的な資本効率の追求ではなく、企業の持続的成長を支えるために活用されるべきです。
また、企業側も資本市場との対話を通じて、自社の成長戦略を明確に示す必要があります。
結論
現在の日本の資本市場は、本来の資金供給機能が弱まり、企業から資金を引き出す「逆機能」を持つ構造になっています。
その背景には、ROEやPBRといった指標の過度な重視と、それを支える低成長環境があります。
今後は、資本効率と成長投資のバランスを取り戻し、資本市場を再び「成長のための仕組み」として機能させることが重要です。
それは単なる制度改革ではなく、企業と投資家の双方の意識の転換を伴う課題といえます。
参考
・日本経済新聞 2026年3月24日朝刊 大機小機
・金融庁 スチュワードシップ・コード
・東京証券取引所 コーポレートガバナンス改革に関する資料