現代の日本型雇用の特徴として、終身雇用はしばしば取り上げられます。しかし、この仕組みは最初から存在していたわけではなく、歴史の中で段階的に形成されたものです。
むしろ出発点は、前回整理したとおり、極めて流動的な労働市場でした。では、なぜそこから「長く働くことが前提の制度」へと転換していったのでしょうか。本稿では、その形成プロセスを構造的に整理します。
流動性の高さが生んだ企業側の課題
明治期の労働市場は、労働者の移動が非常に激しい状態でした。熟練労働者ほどより良い条件を求めて移動し、企業にとっては人材の確保と定着が大きな課題となっていました。
この状況では、企業は安定した生産体制を維持することができません。技能の蓄積も進まず、教育投資も回収できないため、企業成長の阻害要因となります。
つまり、終身雇用の原型は「従業員を守る制度」としてではなく、「人材流出を防ぐための企業側の必要性」から生まれたといえます。
直接雇用への転換と統制の強化
当初の雇用は、親方を介した間接的な仕組みが中心でした。しかし、この形では労働者の移動を抑えることが難しく、企業は雇用管理の主導権を握る必要に迫られます。
そこで進められたのが、企業による直接雇用への転換です。
これにより、採用・解雇・賃金決定といった重要な権限が企業側に集中し、労働者を組織の内部に取り込む仕組みが整備されていきました。この段階で、雇用関係は市場取引から組織内部の関係へと性格を変えていきます。
インセンティブ設計としての長期雇用
単に雇用管理を強化するだけでは、労働者の移動は止まりません。そこで企業は、長く働くこと自体に経済的なメリットを持たせる仕組みを導入します。
具体的には、勤続期間に応じた報酬制度や満期賞与、皆勤賞与といった制度が整備されました。これにより、短期的に転職するよりも、同一企業に留まる方が合理的になる構造が作られます。
さらに、熟練労働者に対しては退職時の手当や表彰制度が導入され、長期雇用のインセンティブが強化されていきました。
この段階で、終身雇用は単なる慣行ではなく、「合理的な選択」として機能し始めます。
教育投資と内部労働市場の形成
企業が長期雇用を前提とするようになると、教育投資の意味が大きく変わります。
短期雇用が前提であれば、企業が人材育成に投資するインセンティブは弱くなります。しかし、長期雇用が期待できる場合、企業は従業員の能力向上に積極的に投資するようになります。
こうして、企業内部で人材を育成し、配置転換や昇進を通じてキャリアを形成する「内部労働市場」が形成されていきます。
この仕組みは、外部労働市場への依存を低下させ、終身雇用をさらに強化する方向に働きます。
戦後日本における制度の完成
終身雇用は明治期からの流れの中で徐々に形成されましたが、制度として確立されたのは戦後です。
高度経済成長期において、企業は安定的な労働力確保と技能蓄積を必要とし、長期雇用を前提とした人事制度を整備しました。年功的な賃金体系や企業別組合といった仕組みも、この文脈で理解することができます。
この時期に、終身雇用は「企業と従業員の相互依存関係」として制度化され、日本型雇用の中核となりました。
制度としての終身雇用の本質
ここまでの流れを整理すると、終身雇用の本質は次の点にあります。
第一に、労働市場の流動性を抑制するための仕組みであることです。
第二に、企業の教育投資を可能にする前提条件であることです。
第三に、企業と従業員の長期的な関係を前提とした制度であることです。
つまり、終身雇用は「安定」のための制度ではなく、「効率性」を追求する中で形成された制度ともいえます。
現代への示唆
現在、労働市場は再び流動化の方向に向かっています。この状況は、終身雇用が成立する前の状態に一部近づいているとも考えられます。
ただし、過去と同じ道をたどるわけではありません。企業と個人の関係はより多様化し、長期雇用を前提としない働き方も一般化しています。
重要なのは、終身雇用を前提とした制度がどのような条件のもとで成立したのかを理解することです。その前提条件が変化している以上、制度もまた変わらざるを得ません。
結論
終身雇用は、日本固有の文化として自然に生まれたものではなく、労働市場の流動性という課題に対応する中で形成された制度です。
企業が人材を確保し、育成し、活用するための合理的な仕組みとして発展してきました。
現代においては、その前提条件が大きく変化しています。終身雇用を維持するか否かではなく、その機能をどのように再設計するかが問われているといえるでしょう。
参考
企業実務 2026年4月号 人事の歴史を辿る旅 第3回 明治時代の日本
総務省統計局 労働力調査(詳細集計)令和6年
パーソル総合研究所 副業の実態・意識に関する定量調査
農商務省編 職工事情(1903年)
労働政策研究・研修機構 雇用システムの生成と変貌
濱口桂一郎 賃金とは何か(朝日新書)