2025年、日本株は日経平均株価5万円台という歴史的水準に到達しました。
インフレの定着、AI投資の拡大、金利ある世界の復活、政権運営への期待、そして個人マネーの変化。本シリーズでは、こうした複数の要素を重ね合わせながら、日本経済と株式市場の現在地を整理してきました。
最終回となる本稿では、これらを総合し、日本経済は単に「元に戻った」のか、それとも「質的に変わった」のかを改めて考えます。
「元に戻った」と見る視点
日本経済は長らく、失われた30年と呼ばれる停滞期を経験してきました。
その中で、株価は長期間にわたり低迷し、デフレと低成長が常態化していました。
この視点から見れば、現在の株高は「本来あるべき水準に戻っただけ」とも言えます。名目GDPは拡大し、企業利益も増加しています。株価が上昇すること自体は、決して不自然な現象ではありません。
また、1980年代後半のバブル期と比べれば、現在の株価水準は過剰な投機や信用膨張によって形成されたものではなく、企業収益や世界的な投資環境を反映した結果と評価することもできます。
明確に変わった三つの前提
一方で、今回の局面を単なる「回復」と捉えるには無理があります。
日本経済を取り巻く前提条件は、明らかに変わっています。
第一に、インフレが定着しました。
物価が動かないことを前提とした経済から、価格転嫁と賃上げが現実のものとして議論される経済へと移行しています。これは、企業行動、家計行動、政策運営のすべてに影響を与える根本的な変化です。
第二に、「金利ある世界」が戻りました。
金利が存在することは、資本配分やリスク評価の基準を変えます。銀行や金融機関だけでなく、企業の投資判断や家計の資産管理においても、金利を前提とした意思決定が求められるようになりました。
第三に、個人マネーの位置づけが変わりつつあります。
新NISAを背景に、株式投資が一部の投資家のものから、生活設計の一部へと組み込まれ始めています。個人が市場の周辺ではなく、構造の一部になりつつある点は、過去とは大きく異なります。
期待相場の「その先」
株式市場は、これらの変化を先取りして評価してきました。
しかし、期待が織り込まれた後に問われるのは、その期待が実体を伴うかどうかです。
AI投資は本当に生産性向上につながるのか。
積極財政は成長をもたらすのか、それとも負担を残すのか。
金利上昇は経済の正常化なのか、それとも新たな制約になるのか。
株価が高水準にある局面ほど、これらの問いに対する市場の目線は厳しくなります。期待相場は、持続的な成長相場へと転換できなければ、調整局面を迎えます。
市場信認が分岐点を決める
今後の日本経済の方向性を決める鍵は、市場信認にあります。
円安、金融政策、財政規律。これらは別々の問題ではなく、相互に結びついた評価軸です。
市場は、日本経済が「成長と規律」を両立できるかどうかを見ています。
短期的な株価の上下よりも、制度や政策が中長期で整合的に運営されるかが問われています。
信認が維持されれば、日本株は新たな均衡点を見いだす可能性があります。一方で、信認が揺らげば、株高は一時的な現象に終わるかもしれません。
家計と企業に求められる視点
この分岐点において、重要なのは政策当局だけではありません。
企業には、インフレと金利を前提とした経営戦略が求められます。家計には、資産と負債を含めた全体設計が必要になります。
株価が上がるか下がるかを予測することよりも、環境変化にどう適応するかが問われる局面です。インフレ定着時代では、何もしないこと自体がリスクになる可能性もあります。
結論
2025年の日本経済は、単に「元に戻った」のではありません。
インフレ定着、金利復活、個人マネーの変化という前提条件のもとで、明らかに「変わり始めています」。
ただし、その変化が本物かどうかは、まだ確定していません。
期待が現実に裏付けられるのか、それとも一時的な評価にとどまるのか。日本経済は、いま分岐点に立っています。
本シリーズが、日本経済と資産形成を考える際の整理軸となれば幸いです。
参考
・日本経済新聞「インフレ定着、際立つ株高」
・日本経済新聞「市場信認『3つの難所』 止まらぬ円安、政権運営にリスク」
・日本経済新聞「製造業・金融株に再評価 日経平均、年末終値5万円台」
・日本経済新聞「〈スクランブル〉個人マネー、世代交代の波」
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
