日本の税制や社会保障制度は、長く「世帯」を基準に設計されてきました。
配偶者控除、扶養控除、第3号被保険者制度、健康保険の扶養制度――。
これらはいずれも、「家族の中で支え合うこと」を前提とした制度です。
高度成長期には、この仕組みは一定の合理性を持っていました。
夫が会社で働き、妻が家庭を支える。終身雇用と年功序列が維持され、賃金も右肩上がりで増えていく。そうした社会では、「世帯単位」で所得や保障を考えることは自然だったのです。
しかし現在、日本社会は大きく変化しました。
- 共働き世帯の増加
- 単身世帯の増加
- 未婚率の上昇
- 非正規雇用の拡大
- 転職社会化
- 高齢単身者の急増
こうした変化の中で、「世帯」を前提にした制度が現実と合わなくなりつつあります。
本記事では、日本型福祉国家の特徴を整理しながら、「世帯単位」の制度は今後も維持できるのかを考えていきます。
日本型福祉国家の特徴
欧州の福祉国家では、「個人」を単位に制度設計する国が比較的多く見られます。
一方、日本では長く「家族」が福祉機能を担ってきました。
たとえば、
- 高齢者介護は家族が担う
- 子育ては家庭が担う
- 生活困窮時は親族扶養を期待する
- 専業主婦モデルを前提に税制を組む
といった構造です。
つまり、日本の福祉国家は「国家が全面的に支える」のではなく、「家族が支えること」を制度の前提にしてきたのです。
その結果、公的支出を一定程度抑制できました。
しかし裏を返せば、「家族を持てない人」「家族関係が弱い人」には不安定な構造でもありました。
なぜ“世帯単位”が重視されたのか
背景には戦後日本の雇用構造があります。
高度成長期、日本企業は終身雇用を軸に男性正社員を中心とした雇用モデルを構築しました。
企業は、
- 長期雇用
- 家族手当
- 住宅手当
- 退職金
- 企業年金
などを通じ、「一家の大黒柱」を支える仕組みを整えていきます。
その一方で、税制・社会保障制度は専業主婦世帯を優遇しました。
結果として、
「企業が世帯主を支え、家族が福祉機能を担う」
という日本独特の福祉モデルが形成されました。
これは「会社中心社会」と「世帯単位福祉」が結びついた構造でもありました。
共働き時代との衝突
しかし現在、この前提は大きく崩れています。
共働き世帯は専業主婦世帯を大きく上回りました。
にもかかわらず、制度にはなお「片働き世帯モデル」の痕跡が残っています。
典型例が「年収の壁」です。
一定年収を超えると、
- 配偶者控除縮小
- 社会保険加入
- 手取り減少
などが発生します。
これは本来、「扶養される配偶者」を前提とした制度です。
しかし共働きが一般化した現在、この仕組みが女性の就業調整を生み、人手不足を深刻化させる一因になっています。
つまり、「世帯単位制度」が現在の労働市場と衝突し始めているのです。
単身化社会と制度のミスマッチ
さらに深刻なのが単身世帯の増加です。
日本では、
- 生涯未婚率上昇
- 離婚増加
- 高齢単身者増加
が進んでいます。
ところが制度設計にはなお「家族がいる前提」が残っています。
たとえば介護では、
「家族が支えること」
を暗黙に期待する制度運営が続いています。
認知症高齢者問題でも、
- 身元保証
- 入院手続
- 死後事務
- 財産管理
などで家族機能が前提になっています。
しかし、今後は「頼れる家族がいない高齢者」が急増します。
つまり、日本型福祉国家は「家族が存在する前提」自体が揺らぎ始めているのです。
「個人単位化」は何を意味するのか
では、「個人単位化」とは何でしょうか。
単純にいえば、
「誰かの扶養下にある前提をやめる」
ということです。
具体的には、
- 税制を個人単位化
- 社会保険を個人加入型へ
- 配偶者優遇縮小
- 家族依存型福祉の見直し
などが議論されています。
欧州では既に個人単位課税が一般的な国もあります。
しかし、日本でこれを進めることは容易ではありません。
なぜなら、日本社会は長く「世帯」を単位に再分配を行ってきたからです。
制度変更は、社会そのものの価値観変更を意味します。
世帯単位をやめると何が起きるのか
個人単位化にはメリットもあります。
就労中立性の向上
働き方による不公平が減ります。
特に女性の就業調整問題の改善が期待されます。
多様な家族形態への対応
未婚・離婚・事実婚など、多様な生き方に制度が対応しやすくなります。
「扶養される側」という発想の縮小
経済的自立を促す方向へ制度が変わります。
一方でデメリットもあります。
低所得世帯への影響
配偶者控除などが縮小されると、片働き低所得世帯には負担増となる可能性があります。
家族扶助機能の弱体化
日本では公的支出の不足を家族機能で補ってきました。
個人単位化は、その「見えない支え」を国家側へ移すことを意味します。
つまり、財政負担問題と直結します。
給付付き税額控除は“個人単位化”への入口なのか
近年議論される給付付き税額控除は、「働く個人」を支援する制度です。
ここには従来の日本型制度との大きな違いがあります。
これまでの日本は、
「世帯全体として生活できるか」
を重視してきました。
しかし給付付き税額控除は、
「働いている個人の可処分所得」
に焦点を当てます。
つまり、
- 個人単位化
- 就労重視
- 労働参加促進
という方向性を持っています。
これは日本型福祉国家の思想転換ともいえます。
日本社会は“家族依存”を続けられるのか
最大の問題はここにあります。
少子高齢化が進む中で、
- 親が子を支える
- 子が親を介護する
- 配偶者が生活を支える
というモデルは維持が難しくなっています。
しかし国家財政にも限界があります。
つまり、
「家族で支えるのか」
「国家で支えるのか」
「市場サービスへ移すのか」
という再設計が避けられない段階に来ているのです。
これは単なる税制論ではありません。
日本社会の「共同体の形」をどう考えるかという問題でもあります。
結論
日本型福祉国家は、長く「世帯単位」を基礎に成り立ってきました。
その背景には、
- 終身雇用
- 男性稼ぎ主モデル
- 家族扶助
- 専業主婦世帯
という戦後社会の構造がありました。
しかし現在は、
- 共働き化
- 単身化
- 非婚化
- 高齢化
が進み、制度前提そのものが揺らいでいます。
今後は、
「家族が支える社会」
から、
「個人をどう支えるか」
へ制度思想が移行していく可能性があります。
ただし、その転換は単なる制度改正ではありません。
税制、社会保障、労働市場、家族観、国家財政――。
すべてを再設計する議論につながります。
給付付き税額控除や年収の壁改革は、その入口に過ぎないのかもしれません。
参考
・日本経済新聞 2026年5月8日朝刊
「給付付き控除を聞く〉地方への恩恵大きく 野村総研顧問・増田寛也氏 女性の就労促す機会に」
・OECD “Taxing Wages”
・内閣府「男女共同参画白書」
・厚生労働省「国民生活基礎調査」
・社会保障国民会議 関連資料