事業承継を語る際、多くの企業で見落とされがちなテーマがあります。それが「社内制度・規程の老朽化」です。
経営者の交代という大きな節目は、単に人が変わるだけではありません。新しい体制にふさわしい組織運営のルールが整っているかどうかが、事業承継後の安定性を大きく左右します。
創業期のベンチャー企業のように、勢いと社長の情熱で突き進む経営は、先代だからこそ成り立ったことでもあります。しかし、後継者にそのまま属人的な文化を押しつけると、組織としての一貫性を保てず、社員の期待を裏切る結果にもつながります。
本稿では、「なぜ社内制度の見直しが事業承継に不可欠なのか」「具体的にどこをどのように見直すべきか」を深く掘り下げます。
1. 社内制度が古くなると会社は急速に弱体化する
先代経営者がカリスマ性や独自の判断で企業を牽引していた場合、社内制度や規程は「最低限の体裁」でしか整っていないケースが少なくありません。
たとえば次のような状況です。
- 就業規則が10年以上更新されていない
- 労働時間の管理が曖昧で、現場任せになっている
- ハラスメントに関する規程が存在しない、あるいは不十分
- SNS・情報管理のルールがない
- トラブル発生時の対応マニュアルが存在しない
- リモートワークや副業に関する規程がまったく整備されていない
これらは、先代のカリスマ性のもとでは「問題化しないまま」放置されてきたものかもしれません。しかし、後継者が社長に就任すると、それらは一気に表面化し、会社運営に大きな負担となるのです。
制度が古いままで事業承継を迎える企業では、次のようなリスクが現実に起こりえます。
- 若手社員からの不満・離職増加
- 働き方や待遇に不公平感が生まれる
- 古い慣習が残り、組織が硬直化する
- 取引先や金融機関から「ガバナンスに課題あり」と評価される
- 法改正に対応できず、コンプライアンス違反の可能性が出る
つまり、制度の老朽化は“見えない経営リスク”であり、事業承継前に解消しておかなければ、後継者は就任直後からトラブル対応に追われ、経営の本質的な仕事ができなくなります。
2. 後継者が制度整備をすると「反発」が起きやすい
制度整備は後継者側から見ても負担の大きい仕事です。
特に、以下のような状況では、後継者が制度改革を進めようとしても社内で反発が起きます。
- 古参社員が強い影響力を持っている
- 「いままで通りでいい」という文化が根強い
- 先代の方針を絶対視する幹部が多い
- 社員が後継者の権威を十分に認めていない
「先代の時はこんなことしなかった」
「ルールを増やすなんて偉そうだ」
「新社長は現場をわかっていない」
こういった声は、小さな組織ほど強く現れます。
そのため、制度整備は本来、現社長(先代)が主導して行うべき重要な経営承継作業です。
後継者に任せるとトラブルを招きやすいため、承継前に先代が率先して体制を整えることが望ましいのです。
3. 見直すべき主要な社内制度と、その理由
事業承継と同時に見直すべき制度は、大きく分けて5つあります。
(1)就業規則・労務管理
会社の最も基本的なルールである就業規則が古いと、社員の不満、労務リスク、トラブルが増加します。
たとえば、以下のような点が問題になりやすい項目です。
- 時間外労働の管理
- 副業・兼業の取り扱い
- テレワークにおける勤務ルール
- 休暇制度の運用
- 退職手続きの規定
特に労働基準監督署の調査が厳しくなるなかで、労務リスクを放置することは会社の存続に関わる問題です。
(2)ハラスメント対策
パワハラ・セクハラ・マタハラなど、職場で起こり得るトラブルは年々複雑化しています。
ハラスメント対策がない会社は、若い世代から敬遠され、人材確保が難しくなります。
(3)情報セキュリティ・個人情報保護
リモートワーク・SNS利用が当たり前となった現在、情報漏洩対策が弱い会社は信用を失います。
中小企業でも、情報管理体制を整えることは必須です。
(4)コンプライアンス体制
近年は、中小企業に対してもコンプライアンスが厳しく求められています。
商法・税法・労基法などの法令順守はもちろん、社内のチェック体制が求められます。
(5)社内評価制度・昇給制度
曖昧な評価制度は、不満・不公平を生み、優秀な人材が会社を離れる原因になります。
後継者が経営を担うためには、公平で透明性のある制度が不可欠です。
4. 制度のアップデートは「会社の変革」の第一歩
制度整備には、単なるルール作りを超えた意味があります。それは、会社の価値観を次世代仕様にアップデートする作業だということです。
例えば…
- 「何となく先輩に合わせる文化」をなくす
- 「人によってルールが違う」状態を解消する
- 「先代の判断ありき」の体質から脱却する
- 後継者が公平に判断できる仕組みを整える
制度が整うと、社員は「次世代の会社はこう進むのだな」と理解できます。
つまり制度整備とは、後継者への信頼を高め、承継後の混乱を防ぐための準備でもあります。
5. 制度見直しは後継者のためではなく“会社全体のため”
制度整備には手間と時間がかかります。また、社員に制度変更を説明し理解を得るためのコミュニケーションも必要です。
しかし、制度のアップデートは後継者のためだけではなく、会社全体の未来を守るための投資です。
- 人材が定着する
- 若い世代から選ばれる企業になる
- 外部評価(金融機関・取引先)が高まる
- トラブル発生率が大幅に減る
- 後継者が安心して経営判断を行える
このように制度整備は、全社員に利益をもたらす取り組みです。
結論
事業承継は、単に後継者を決め、株を渡せば終わるものではありません。後継者が安心して社長の責務を果たすためには、組織運営を支える土台である「社内制度・規程」が現代の基準に合っていることが不可欠です。
制度が整った会社は、後継者が経営に集中でき、社員も安心して働けます。逆に制度が古いままでは、どれほど優秀な後継者が現れても、会社の未来は不安定なものになります。
事業承継は、「会社を次世代に引き渡すプロジェクト」です。
そのためには、制度整備という“見えないインフラ”を整え、未来へ続く強い組織づくりを進めていく必要があります。
次回は本シリーズの総まとめとして、専門家や金融機関と連携しながら「経営承継計画」をつくる方法を詳しく解説します。
出典
・日本経済新聞「事業承継の本質は経営承継にあり」
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
