人手不足が深刻化する中、「働きたい人にはもっと働いてもらえばよい」という議論が強まっています。裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の拡充を通じて、労働時間の規制を緩めるべきだという主張です。
一見すると合理的に思えます。意欲のある人が能力を発揮し、経済成長を支える。個人の自由も尊重される。理想的な姿に映るかもしれません。
しかし、この議論は本当に持続可能な社会設計と整合しているのでしょうか。本稿では、「働きたい人は働く」という発想を、人口動態・キャリア形成・少子化・企業経営の観点から検討します。
労働時間の自由化は本当に「自由」か
裁量労働制や高度プロフェッショナル制度は、本来、非定型業務に適した柔軟な制度です。成果に応じて評価し、時間に縛られない働き方を可能にする。
しかし現実には、「裁量がある」とされながら、実態としては業務量が増えるだけというケースもあります。制度の問題というよりも、運用の問題です。
さらに重要なのは、「働く時間に制約がある人」との関係です。
介護、子育て、持病、体力的制約など、時間の自由度が低い人は少なくありません。能力や意欲に差がなくても、投入できる時間に差があれば、成果や評価に差が出る可能性が高い。
時間を多く投下できる人が有利になる構造を当然視してよいのか。この問いは、単なる労働政策の問題ではなく、社会の公平観の問題でもあります。
キャリア形成は「時間制約」に左右される
多くの専門職や管理職では、成果は積み上げ型です。長時間の経験、突発対応、海外出張、急な会議対応などが評価に直結します。
時間制約のない人は、これらに柔軟に対応できます。一方で制約のある人は、同じ能力があっても機会を逃す可能性があります。
その結果、昇進・報酬・ポジションで差が固定化する。
これを「自己責任」と整理するのは簡単ですが、社会全体で見るとどうでしょうか。
もし制約のある人たちが「この競争は最初から不利だ」と感じれば、挑戦する意欲そのものが削がれます。女性活躍、高齢者活用、多様性推進といった政策目標とも緊張関係が生じます。
働きたい人が無制限に働ける社会と、多様な人材が活躍できる社会は、必ずしも自動的に両立しません。
少子化との構造的な相性問題
もう一つの論点は少子化との関係です。
「制約のない生き方が有利」な社会では、人々は合理的に行動します。結婚や出産は時間的制約を伴います。もしそれがキャリア上の明確な不利につながるなら、回避する選択が増えても不思議ではありません。
好きなだけ働ける社会は、個人の自由を尊重しているように見えます。しかし、その設計が結果として出生行動に影響を与える可能性は否定できません。
少子化対策を進めながら、「時間制約のない働き方が圧倒的に有利」というメッセージを出すことは、政策として一貫しているでしょうか。
人口動態を踏まえると、この問いは軽視できません。
企業経営はどちらを選ぶか
企業にとって最も簡単なのは、「制約のない人に多く働いてもらう」ことです。即効性があり、成果も見えやすい。
しかし、日本の人口構造を考えれば、制約なく働ける人の割合は今後も減少します。高齢化は進み、共働き世帯が増え、介護負担も増えます。
一部の人の頑張りに依存するビジネスモデルは、短期的には機能しても、長期的には持続性を欠く可能性があります。
むしろ必要なのは、制約のある人でも成果を出せる仕組みづくりです。業務の標準化、デジタル活用、評価制度の見直し、チーム単位での成果管理など、経営改革の方向性は変わります。
ワーク・ライフ・バランスを「個人の選択」とするのか、「社会の共通理念」とするのかで、企業の戦略は大きく異なります。
「たくさん働くこと」への社会的メッセージ
興味深いのは、「たくさん働くことに後ろめたさを感じる空気をあえて作る」という視点です。
これは長時間労働を否定するというよりも、「時間の多さ=価値の高さ」という単純な評価軸を相対化する試みといえます。
もし社会が、「限られた時間で成果を出すこと」をより高く評価する方向に動けば、企業の生産性向上努力も促されます。
時間投入型の競争から、付加価値創造型の競争へ。
これは単なる労働規制の議論ではなく、日本経済の競争力モデルそのものの選択でもあります。
結論
「働きたい人は働く」という発想は、自由で合理的に見えます。しかし、時間制約の有無による格差、少子化との関係、企業の長期的持続性といった観点から見ると、単純な処方箋ではありません。
人口減少社会において重要なのは、一部の人が無制限に働くことではなく、より多くの人が持続的に力を発揮できる設計です。
ワーク・ライフ・バランスを個人の嗜好に委ねるのか、それとも社会の基本理念とするのか。その選択は、日本の競争力のあり方を左右します。
労働時間の自由化は、制度論にとどまらず、社会の将来像を問うテーマでもあります。私たちは「どのような競争を望むのか」という根源的な問いから、議論を始める必要があります。
参考
日本経済新聞
門間一夫「働きたい人は働く」でよいのか
2026年2月27日 朝刊 エコノミスト360°視点

