AIとともに育つα(アルファ)世代と、人生の後半に差しかかった老後世代。この二つの世代は、しばしば「価値観が真逆の存在」として語られます。
しかし本当にそうなのでしょうか。本稿では、台湾の初代デジタル相である オードリー・タン 氏の議論を手がかりに、α世代と老後世代を対比しながら、AI時代の共生の可能性を考えます。
デジタルとの関係性の違い
α世代にとって、デジタルは生まれたときから存在する環境です。AIやオンライン空間は「使う道具」ではなく、「暮らす場所」に近い存在といえます。意見の違いを含んだまま協働することも、仮想空間の中では自然な行動です。
一方、老後世代にとってデジタルは、人生の途中から登場した技術です。便利さを感じる一方で、使いこなせないことへの不安や、置き去りにされる感覚を抱きやすい世代でもあります。
同じ技術を前にしても、出発点が大きく異なっているのです。
社会参加の「入口」が違う
α世代は、民主主義への参加を「許可されるもの」と考えていません。オンラインゲームやSNS上で、すでに自分たちのルールをつくり、合意形成を行う経験を積んでいます。社会参加は日常行為の延長です。
老後世代はどうでしょうか。
多くの人にとって社会参加は、選挙や自治会、地域活動といった制度化された枠組みの中で行われてきました。参加には手続きが必要で、心理的ハードルも低くありません。
この違いは、「意欲の差」ではなく「設計の差」と考えるべきでしょう。
分断を生むのは世代か、設計か
政治的分極化や世代間対立は、しばしば「価値観の違い」が原因だと説明されます。しかしオードリー・タン氏は、分断の多くが「対立を増幅するよう設計された技術」によって生み出されていると指摘します。
怒りや不安を刺激する情報設計は、α世代にも老後世代にも等しく影響します。
老後世代が陰謀論や極端な情報に引き寄せられるのも、α世代が過激な言説に触れやすいのも、同じ構造の裏返しです。
問題は世代ではなく、どのような情報環境に置かれているかです。
市民AIがつなぐ世代間の橋
タン氏が提唱する「市民AI」は、ここで重要な意味を持ちます。市民AIとは、少数の専門家のためのAIではなく、地域や生活に根ざした支援的な知能です。
α世代にとって市民AIは、学びや協働を加速させるパートナーになります。
老後世代にとっては、行政手続きや健康管理、学び直しを支える「伴走者」となり得ます。
同じAIが、世代ごとに異なる役割を果たしながら、結果として世代間の距離を縮める可能性があります。
老後世代こそ、AIの恩恵を受け得る
AIによる学習支援や対話技術は、これまで教育や情報から距離を感じてきた人ほど効果を発揮します。
老後世代がAIを通じて再び学び、意見を表明し、社会とつながることができれば、「支えられる側」から「参加する側」へと立場が変わります。
これは、社会保障や福祉を考える上でも重要な視点です。
支援を受ける存在として老後世代を見るのではなく、知恵と経験を持つ参加者として再定義することが可能になります。
おわりに――対立ではなく補完へ
α世代と老後世代は、確かに異なる世界を生きてきました。しかし、AI時代においてその違いは、分断ではなく補完関係に転じる余地があります。
α世代は「違いを抱えたまま協力する感覚」を直感的に理解しています。
老後世代は「時間をかけて合意を築く知恵」を蓄積してきました。
AIは、その両者をつなぐ媒介になり得ます。
世代間の断絶を嘆く前に、どのような設計なら共に参加できるのかを考えること。それこそが、AI時代の社会に求められている姿勢ではないでしょうか。
参考
日本経済新聞「〈α-20億人の未来〉α世代、AIと分断超越 新興国が先行の可能性」(2026年1月12日)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
