前回は、年金世代が感じる制度不信の正体が、怒りや不満ではなく「説明されない違和感」にあることを整理しました。
今回は、その違和感が最も端的に表れる例として、遺族年金と老齢年金の扱いの差を取り上げます。
制度を冷静に見ていくと、年金額の多寡ではなく、「どの年金か」によって扱いが大きく変わっている現実が浮かび上がります。
介護の自己負担は「収入」で決まる
介護保険の自己負担割合は、原則として本人の収入に応じて決まります。
老齢年金は収入として扱われ、一定額を超えると自己負担は2割、3割へと引き上げられます。
近年は、株式の配当や譲渡益といった金融所得についても、たとえ源泉徴収で完結していても、収入判定に含める方向で議論が進んでいます。
制度の公平性を考えれば、流れとして理解できる部分もあります。
しかし、ここで一つ、明確な例外があります。
遺族年金は「収入」に含まれない
介護保険の自己負担を決める際、遺族年金は収入に含まれません。
遺族基礎年金は子どもがいる間の給付であり、対象外とされることに大きな違和感はないでしょう。
問題は、遺族厚生年金です。
これは配偶者の死亡後、原則として終身で支給される年金であり、生活費の中心になるケースも少なくありません。
それにもかかわらず、老齢厚生年金とは異なり、収入判定の対象外とされています。
同じ年金額でも扱いが逆転する
この違いが、年金世代に強い不公平感を生んでいます。
例えば、次の二人を比べてみます。
- 専業主婦として生活し、配偶者死亡後に遺族厚生年金を月8万円受け取る人
- 長年働き、65歳以降に自身の老齢厚生年金を月8万円受け取る人
年金額は同じです。
日々の生活水準も大きく変わりません。
しかし、介護保険の自己負担を判定する場面では、後者だけが「収入あり」と扱われ、負担割合が引き上げられる可能性があります。
結果として、働いてきた人の方が制度上不利になるという逆転現象が生じます。
寿退社世代が直面する現実
現在の60代女性は、寿退社が当たり前だった時代と、女性の就労が広がった時代の両方を経験してきました。
家庭を優先した人も、仕事を続けた人も、それぞれの選択は時代背景に強く影響されています。
にもかかわらず、老後になってから
「どの年金を受け取っているか」
という一点で扱いに差がつくことは、多様な生き方を尊重する社会の姿とは言い難いものです。
制度は中立のつもりでも、結果として特定の生き方を優遇し、別の生き方に負担を集中させてしまっています。
なぜ議論の俎上に載らないのか
この問題は、制度の根幹に関わるにもかかわらず、政策議論の場で大きく取り上げられてきませんでした。
理由の一つは、遺族年金が「弱者保護」の象徴として扱われやすい点にあります。
しかし、実態を見れば、遺族年金で安定した生活を送る人と、老齢年金のみで暮らす人の生活水準が必ずしも大きく違うわけではありません。
にもかかわらず、制度上の扱いだけが大きく異なる点に、説明が追いついていないのです。
結論
遺族年金が悪いわけでも、老齢年金が優れているわけでもありません。
問題は、同じ生活実態にある人を、年金の種類だけで別扱いしている制度構造にあります。
医療や介護制度を持続させるために負担見直しが必要だとしても、その前提として、納得できる線引きが求められます。
なぜこの年金は収入と見なされ、なぜこちらは見なされないのか。
その説明なくして、制度への信頼は回復しません。
次回は、働き続けた人が報われにくい年金制度の仕組みについて、在職老齢年金や繰下げ受給を手がかりに掘り下げていきます。
参考
日本経済新聞
「多様性 私の視点〉遺族年金ばかり優遇、なぜ」
確定拠出年金アナリスト 大江加代氏(2026年1月26日朝刊)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
