「選挙は経済だよ」という言葉があります。
1992年の米大統領選挙で、ビル・クリントン陣営が使ったとされるこのフレーズは、外交で実績を誇っていたジョージ・H・W・ブッシュ政権に対し、有権者の関心を足元の生活と経済に引き戻す強い力を持っていました。
2026年初頭の日本もまた、経済が選挙の中心テーマになっています。
与野党そろって消費税減税を掲げる一方で、財源や中長期の経済構造への影響については十分な説明がなされているとは言い難い状況です。
こうした中で、静かに、しかし確実に意識され始めているのが「構造インフレ」という言葉です。
構造インフレとは何か
構造インフレとは、一時的な要因による物価上昇ではなく、経済の構造そのものにインフレ要因が組み込まれてしまう状態を指します。
為替や資源価格の変動が落ち着けば収まるインフレとは異なり、供給力や労働力、人口構造といった根本要因が背景にあるため、簡単には元に戻りません。
現在の日本経済では、次のような変化が同時に進んでいます。
・人口減少と高齢化の進行
・労働力需給の逼迫
・国内回帰によるコスト構造の変化
・財政拡張への市場の警戒
これらはすべて、構造インフレと親和性の高い要因です。
マーケットはすでに兆しを感じている
長期金利の上昇は、マーケットが将来のインフレと財政リスクをどう見ているかを映す鏡です。
足元では10年物国債利回りが2%を大きく超え、1990年代後半の「日本売り」と言われた局面に近い水準が意識されています。
金利上昇は、景気回復の結果として歓迎される面もあります。
しかし、今回の上昇は、財政拡張とインフレ定着への警戒が混じった、やや質の異なる動きに見えます。
減税が将来の税収増につながるという説明が十分に共有されないまま進めば、国債市場が不安定化するのは自然な反応とも言えます。
デフレ時代とは明らかに違う環境
アベノミクス期の日本経済は、需要不足が前提のデフレ経済でした。
金融緩和や財政出動を行っても、物価はなかなか上がらず、賃金も停滞していました。
一方、現在は年率3%前後の物価上昇が続いています。
円安による輸入物価の上昇だけでなく、国内需要に供給が追いついていない状況が背景にあります。
この点で、当時と現在は明確に異なります。
賃金上昇が示す構造変化
30年近くほとんど上がらなかった賃金が、ここ数年で明確に動き始めました。
連合は2026年春闘で5%以上の賃上げを要求する方針を示しており、実現すれば3年連続の高水準となります。
賃金上昇は本来、望ましい変化です。
しかし、労働力不足が主因となっている場合、企業はコスト増を価格に転嫁せざるを得ません。
この賃金と物価の連動が定着すれば、インフレは一過性ではなくなります。
世界的な労働供給構造の変化
ロンドン大学のチャールズ・グッドハート名誉教授らは、著書『人口大逆転』で、これまでの世界経済は中国の膨大な労働力によってインフレを抑えられてきたと指摘しています。
日本もまた、中国を含む海外の労働力と供給力に支えられてきました。
しかし、中国自身が人口減少局面に入り、日本企業の国内回帰も進んでいます。
この変化は、世界全体で供給制約が強まる方向に働きます。
消費税減税という選択肢の限界
物価上昇に苦しむ低所得層への支援が必要であることは否定できません。
ただし、消費税減税は高所得層にも同じ割合で恩恵が及ぶ仕組みです。
財政負担が大きい割に、政策効果が分散してしまう点は大きな問題です。
給付付き税額控除のように、対象を絞った支援策の方が、構造インフレ下では合理的と考えられます。
にもかかわらず、選挙では分かりやすさが優先され、より精緻な制度設計の議論が後回しになっている印象は否めません。
結論
構造インフレは、音もなく進行します。
物価が少しずつ上がり、賃金も上がり、金利が動き始めたとき、すでに後戻りは難しくなっています。
選挙で何を選ぶのかは、短期的な負担軽減だけでなく、経済構造そのものをどうするのかという問いでもあります。
いま聞こえ始めている「構造インフレの足音」を、単なる不安材料として片付けるのではなく、冷静に受け止める必要があるのではないでしょうか。
参考
・日本経済新聞 大機小機「構造インフレ」を心配する
・チャールズ・グッドハートほか『人口大逆転』渋谷浩訳
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。

