近年、職場におけるメンタル不調への対応は、管理職にとって避けて通れない業務になっています。部下の様子に気づき、声をかけ、業務配分を調整し、人事部や産業医につなぐ。これらは公式な職務記述書には明記されていなくても、実質的に「管理職の役割」として期待されています。
しかし、管理職自身が専門的な知識や十分な裁量を持たないままメンタルケアの最前線に立たされている現状は、個人の努力だけで解決できる問題ではありません。そこには、組織構造と制度設計に起因するリスクが存在しています。
管理職に集中する「見えない業務」
部下のメンタル不調は、ある日突然、管理職のもとに現れます。遅刻や欠勤の増加、業務パフォーマンスの低下、周囲との摩擦といった兆候に、最初に向き合うのは現場の上司です。
多くの企業では、管理職に対して「早期発見」「適切な声かけ」「職場環境への配慮」が求められますが、それに伴う時間的・精神的負担は業務量として可視化されにくいのが実情です。結果として、本来の業績管理や育成業務に加えて、メンタルケアという重い責任が上乗せされます。
専門性と責任の不均衡
メンタルヘルスは、本来、医療や心理の専門性を要する分野です。それにもかかわらず、管理職は短時間の研修やマニュアルを渡されるだけで、対応の成否に対する事実上の責任を負わされがちです。
対応が不十分であれば「配慮が足りない」と指摘され、踏み込みすぎれば「ハラスメント」と受け取られる可能性もあります。このように、どの選択肢を取ってもリスクが残る状況は、管理職自身の心理的安全性を大きく損ないます。
評価制度が生む歪み
多くの企業の評価制度は、売上や利益、数値目標の達成を中心に設計されています。部下の不調に時間を割き、チームの負荷を引き受ける行為は、組織にとって不可欠であっても、評価項目には反映されにくいのが現実です。
その結果、ケアを引き受けるほど自分の評価が下がる、あるいは昇進や報酬面で不利になるという逆転現象が起こります。これは、善意や責任感に依存したケアの構造が、長期的に持続しない理由の一つです。
管理職自身の不調が見過ごされる構造
管理職は「支える側」と見なされやすく、自身の不調を表に出しにくい立場にあります。部下の休職が続く中で、自らが相談する余裕を失い、結果として管理職自身がメンタル不調に陥るケースも少なくありません。
しかし、その不調は「管理能力の不足」や「マネジメント力の問題」として個人に帰されがちです。ケアを担わせる構造そのものが問われることは、あまりありません。
税務・社会保障の視点から見た管理職リスク
管理職がメンタル不調で休職・退職に至った場合、組織的な損失は小さくありません。代替人材の確保や育成には時間とコストがかかり、結果として企業全体の生産性に影響します。
一方で、社会保障制度は個人単位で設計されており、管理職という役割特有の負荷を考慮する仕組みは存在しません。税務上も、過重な責任を担う管理職に対する特別な調整措置はなく、「役割に見合わない負担」が放置されている状態だと言えます。
結論
管理職がメンタルケアを担わされる構造的リスクは、個々のマネジメント能力や人格の問題ではありません。それは、評価制度、業務設計、専門職との役割分担、社会保障制度が噛み合っていないことによって生じています。
管理職にケアを「求める」のであれば、それを支える仕組みが不可欠です。専門職との明確な役割分担、ケア業務の評価への組み込み、管理職自身が支援を受けられる環境整備。これらが伴わなければ、職場のケアは疲弊の連鎖を生むだけです。
管理職を消耗品にしない制度設計こそが、職場全体の持続性を高める基盤になると言えるでしょう。
参考
・上田紀行「職場をさいなむ『軽度』うつ」日本経済新聞(2025年12月13日)
・東畑開人『雨の日の心理学』KADOKAWA
・平光源『半うつ』サンマーク出版
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
