令和8年度税制改正大綱では、一定の貸付用不動産について「課税時期における通常の取引価額」で評価する方針が示されました。
ここでいう「通常の取引価額」とは、いったい何を意味するのでしょうか。
相続税は時価主義を原則としています。しかし、実務では財産評価基本通達に基づく画一的評価が広く用いられてきました。
今回、あらためて「通常の取引価額」という概念が前面に出てきたことは、評価の本質に立ち返る動きともいえます。
本稿では、この「通常の取引価額」という概念の意味と、その実務的含意について整理します。
「時価」と「通常の取引価額」
相続税法は、原則として財産を「時価」により評価するとしています。
一般に、時価とは「不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に成立すると認められる価額」と理解されています。
「通常の取引価額」という表現は、この時価概念をより具体化したものと考えられます。
すなわち、
・特殊な事情のない
・強制的でない
・独立当事者間の
取引において成立するであろう価格を意味します。
重要なのは、個別事情による偶然の価格ではなく、一般市場において合理的に成立すると見込まれる価格であるという点です。
実勢価格との違い
しばしば「実勢価格」という言葉が用いられます。
実勢価格とは、実際に成立した取引価格を指しますが、それが常に「通常の取引価額」と一致するとは限りません。
例えば、
・親族間取引
・緊急売却
・特別な利害関係を伴う取引
などでは、成立価格が市場一般の水準を反映していない場合があります。
したがって、「通常の取引価額」は、単一の取引事例をそのまま採用するものではなく、取引実態を参酌しつつ合理的に推認される価格を意味します。
収益還元との関係
貸付用不動産の場合、評価の基礎となるのは単なる土地価格だけではありません。
賃料収入、空室率、管理コスト、修繕費、金利水準など、収益性を反映した価格形成が行われます。
市場では、収益還元法や取引事例比較法などが用いられます。
「通常の取引価額」とは、こうした市場評価手法に基づく合理的価格水準を想定していると考えられます。
つまり、単なる固定的割合ではなく、市場の収益力評価を反映した価格概念です。
通達評価との緊張関係
従来の財産評価基本通達は、画一的・簡便的な評価方法を提供してきました。
これは大量事務処理を前提とした制度設計であり、予測可能性を確保するという機能を持ちます。
しかし、市場価格との乖離が大きい場合には、通達評価は本来の時価主義と緊張関係に立ちます。
「通常の取引価額」を明示することは、通達評価が常に時価を完全に反映するわけではないことを前提とした制度的修正ともいえます。
評価の本質に立ち返る動きと見ることもできます。
課税実務上の課題
もっとも、「通常の取引価額」を実務でどのように把握するかは容易ではありません。
問題となるのは、
・鑑定評価を要するか
・どの取引事例を参照するか
・市場変動をどこまで織り込むか
といった点です。
評価の自由度が高まるほど、納税者と課税当局の間で争いが生じやすくなります。
したがって、制度としては、
・客観的資料に基づく算定方法
・合理的な推計手法
・一定の簡便基準
を組み合わせることが必要になります。
公平性と予測可能性の両立
「通常の取引価額」主義は、形式的評価に比べて公平性を高める可能性があります。
市場価格に近い評価を行えば、極端な評価圧縮や評価過大を防ぐことができます。
しかし一方で、評価の不確実性が増せば、納税者の予測可能性は低下します。
税制は公平性と安定性のバランスの上に成り立っています。
今回の見直しは、このバランスを再調整する試みともいえます。
「通常」とは何か
最後に、「通常」という言葉の意味を改めて考える必要があります。
市場は常に変動します。金利、地価、賃料水準、投資家心理などにより、価格は変わります。
したがって、「通常」とは固定的な数値ではなく、一定の市場条件下で合理的と認められる範囲を意味します。
評価は数学的な唯一解ではありません。合理的幅を持つ概念です。
重要なのは、その幅の中で説明可能な価格であるかどうかです。
結論
「通常の取引価額」とは、単なる実勢価格でも、通達評価額でもありません。
それは、自由で独立した当事者間において合理的に成立すると見込まれる市場価格を意味します。
今回の制度見直しは、評価の本質を「市場との整合性」に求め直す動きといえます。
もっとも、その具体化は容易ではありません。公平性を高める一方で、予測可能性をどう確保するかが今後の課題となります。
評価は技術論であると同時に、課税理念の問題でもあります。
制度の具体的整備を注視しつつ、評価の本質を冷静に見極める必要があります。
参考
・2026年02月09日 税のしるべ 連載「続・傍流の正論~税相を斬る」第78回/貸付用不動産の評価
・自由民主党・日本維新の会 令和8年度税制改正大綱
・財産評価基本通達
・最高裁令和4年4月19日判決 解説資料
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
