企業の財務諸表は、過去の実績を示すだけでなく、将来の経営環境をどう見積もっているかを映し出す鏡でもあります。近年、その読み解きにおいて重要性を増しているのが、監査報告書に記載される「監査上の主要な検討事項(KAM)」です。
2025年3月期の有価証券報告書では、このKAMに「関税影響」を明示的に取り上げる企業が急増しました。前年はわずか1社だったものが、25年3月期には29社に拡大しています。この変化は、企業経営と財務監査、そして投資家の視点にどのような意味を持つのでしょうか。
KAMとは何か
KAMとは、監査人が監査の過程で「特に重要と判断した事項」を示すものです。2021年3月期以降、有価証券報告書に添付される監査報告書への記載が義務化されました。
その狙いは、監査手続きの透明性を高め、監査法人と企業との間に適度な緊張関係を保つことにあります。同時に、投資家にとっては、財務諸表のどの部分にリスクや不確実性が集中しているのかを把握する重要な手がかりとなっています。
「関税影響」がKAMに浮上した背景
25年3月期のKAM分析では、「関税」に言及した企業が29社に達しました。これは24年3月期の1社からの急増であり、異例とも言える変化です。
背景には、日米関税交渉をはじめとする通商政策の先行き不透明感があります。企業は、将来の関税率や需要動向を自ら仮定し、それを前提に事業計画や収益見通しを策定しました。その結果、固定資産の減損や繰り延べ税金資産の回収可能性など、会計上の重要判断に関税影響が直結する局面が増えたのです。
関税影響と減損・税効果会計
KAMで多く見られた項目は、「固定資産の減損」「繰り延べ税金資産の評価」「貸倒引当金の評価」でした。いずれも将来キャッシュフローや回収可能性の見積もりが前提となる会計処理です。
関税が引き上げられれば、販売数量の減少やコスト増加を通じて収益性が低下します。その影響をどう見積もるかによって、減損損失の計上有無や金額が大きく変わる可能性があります。監査人がKAMとして明示することで、これらの見積もりが監査上の重要論点であったことが外部からも確認できるようになりました。
日産自動車の事例
象徴的な事例が日産自動車です。同社は25年3月期に、事業用資産について4670億円という大規模な減損損失を計上しました。
自動車事業の減損テストでは、将来キャッシュフローの見積もりに、社内で試算した米国関税の影響予測を反映しています。監査人であるEY新日本監査法人は、この前提条件について経営者と協議し、試算の妥当性を検討しました。
ここで重要なのは、監査人が単に数値を確認するだけでなく、関税影響という不確実性の高い要素をどのように織り込んでいるかに注目した点です。
投資家・実務家にとっての意味
KAMに「関税影響」が記載されることは、企業が直面しているリスクの所在を可視化します。投資家にとっては、業績悪化の可能性がどこにあるのか、経営者の前提がどれほど楽観的または慎重なのかを読み解く材料となります。
また、経理・財務や税務の実務家にとっても、外部環境リスクをどのように会計見積もりへ反映させるか、監査人とどう議論すべきかを考える上で重要な示唆を与えます。
結論
KAMにおける「関税影響」の急増は、通商政策リスクが一時的な問題ではなく、企業価値評価の中核に入りつつあることを示しています。
今後も地政学リスクや政策変更が続く中で、財務諸表はますます「将来予測の集合体」としての性格を強めるでしょう。その読み解きにおいて、KAMは単なる監査報告の付録ではなく、企業と市場をつなぐ重要な情報源となっています。
投資家も実務家も、数値そのものだけでなく、その背後にある前提やリスクを意識してKAMを読み取る姿勢が求められています。
参考
日本経済新聞「財務監査の重要項目『KAM』、『関税影響』1社→29社に」(2025年12月16日)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。

