新NISAが始まり、制度面では長期投資の環境が整いました。それでもなお、多くの人が「投資を始めたいけれど一歩が踏み出せない」と感じています。
その背景には、知識不足ではなく「心理の壁」があります。本稿では、行動経済学の視点から、人がなぜ投資に踏み出せないのかを紐解きます。
1. 損失回避バイアス ― 「損をしたくない」という強い本能
行動経済学の研究によれば、人は同じ金額の「得」と「損」を比較した場合、損失の痛みを2倍以上強く感じる傾向があります。これを「損失回避バイアス」と呼びます。
たとえ期待値がプラスでも、「損をするかもしれない」という感情が行動を止めてしまうのです。日本人の投資参加率が低い背景には、この損失回避の心理が深く根づいています。
2. 現状維持バイアス ― 「何もしない」安心感
「今のままでいい」という感覚は、変化に対する恐怖の裏返しです。投資を始めることは、これまでと異なる行動を取ることを意味します。
行動経済学では、人は変化にリスクを感じると「行動しない」という選択を無意識に選びやすいとされます。預金が減らないという安心感が、「現状維持バイアス」を強化しているのです。
3. 確証バイアス ― 自分に都合のよい情報だけを見る
「やっぱり投資は危ない」「知り合いが失敗したらしい」――こうした情報だけを信じてしまうのは、人が本能的に“自分の信念を裏づける情報”を探すからです。これを「確証バイアス」といいます。
一方で、長期投資の成功例や積立効果に関するデータは、目に入っても記憶に残りにくい傾向があります。投資を学ぶ上では、この“情報の偏り”を意識することが重要です。
4. アンカリング効果 ― 「過去の数字」に縛られる思考
株価や為替などを判断するとき、多くの人は「以前より高い・安い」と過去の水準を基準に考えます。これが「アンカリング効果」です。
たとえば「日経平均が3万円を超えたら高すぎる」と感じる人もいれば、「過去の最高値にはまだ届いていない」と考える人もいます。どちらの判断も、冷静な価値評価というより“心の基準値”に左右されています。
5. メンタル・アカウンティング ― 「心の家計簿」が行動を決める
人はお金を使い道ごとに「心の家計簿」で区分して管理する傾向があります。ボーナスを“臨時収入”とみなし、消費に使ってしまうのもその一例です。
投資資金を「生活費とは別」として区分できない場合、生活リスクと混同して怖く感じる人が多いのです。投資専用の口座を用意することは、心理的な安心にもつながります。
6. 「渋りすぎ」と「怖がりすぎ」 ― 日本人特有の心理構造
筆者の調査では、投資をためらう人の多くが「渋りすぎタイプ」か「怖がりすぎタイプ」に分類されます。
前者は「損したくない」「今のままで問題ない」と考え、後者は「減るのが怖い」「失敗したくない」と感じています。どちらも合理的判断よりも感情が優先される典型的なパターンです。
結論
投資を始められないのは、意志が弱いからではありません。人間の感情の仕組みが、そう行動させているのです。
感情のメカニズムを理解することが、第一歩を踏み出す最大の鍵です。心理を知れば、行動は変えられます。制度を知ることと同じくらい、「自分の心を知ること」も重要な投資教育の一部といえるでしょう。
出典
・リチャード・セイラー『行動経済学の逆襲』
・金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査」2024年版
・日本経済新聞「投資は『心の壁』を乗り越えて」(2025年10月31日)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
