近年、職場で増えているのは、いわゆる重度のうつ病だけではありません。出社が困難になる一方で、私生活では一定の活動ができる状態、あるいは「不調」と「日常」の間を揺れ動く状態にある人が目立つようになっています。
このような「軽度」と見なされがちなうつ状態は、本人だけでなく、上司や人事担当者、同僚といった周囲の人々にも大きな負荷を与えています。日本経済新聞の「今を読み解く」で上田紀行氏が論じた内容は、メンタルヘルスの問題を個人の内面に閉じず、職場制度や社会保障のあり方と結びつけて捉える重要性を示しています。
「軽度」に見える不調が職場にもたらす構造的負担
記事で触れられている「新型うつ」や「半うつ」は、従来型のうつ病とは異なる特徴を持ちます。一日中抑うつが続くのではなく、周囲からの評価や些細な言葉に強く反応し、自己否定感から立ち直れなくなる状態です。
この状態が長期化すると、本人の欠勤・休職だけでなく、業務の再配分、評価の見直し、職場の人間関係の緊張など、組織全体の生産性に影響が及びます。人事部門は配置転換や勤務配慮を迫られ、現場の上司は業績管理とケアの板挟みに遭います。
「軽度」に見える不調が、結果として職場に重いコストを生じさせている点は、あまり意識されていません。
早期ケアと人事制度の関係
平光源氏の『半うつ』が示すように、うつ状態には段階があります。神経物質の一部が不足している段階であれば、生活リズムの調整や環境改善によって回復の可能性は高いとされています。
ここで重要なのは、個人のセルフケアだけでなく、人事制度との連動です。柔軟な勤務時間、短時間勤務、評価期間の調整、配置換えの選択肢などが制度として用意されていなければ、「半うつ」の段階で職場にとどまることは困難になります。
結果として、軽度の不調が休職や離職に発展し、企業は人材の損失という形でコストを負担することになります。早期ケアは、福利厚生の問題にとどまらず、人材投資の観点からも合理性を持つと言えます。
税務・社会保障の制度が与える影響
メンタル不調と社会保障制度は密接に結びついています。傷病手当金や障害年金は、一定の条件を満たせば生活を支える重要な制度ですが、「軽度」の段階では対象外となることも少なくありません。
その結果、不調を抱えながらも無理に就労を続けるか、逆に一気に休職・退職へと傾くかという二極化が起こりやすくなります。制度が「重度」を前提として設計されていることが、軽度の段階での支援を難しくしている側面があります。
また、休職や時短勤務に伴う収入減少は、所得税や社会保険料負担のバランスにも影響します。税務の視点から見ても、働き方の調整期における負担のあり方は、今後検討すべき課題です。
「ケアする人」を支える仕組みの欠如
見落とされがちなのが、ケアを担う側の疲弊です。部下のメンタル不調に対応する管理職や人事担当者は、業務としての成果が見えにくいまま、精神的な負担を蓄積させていきます。
企業の評価制度では、売上や利益に直結する部門が重視され、ケアや調整を担う仕事は数値化されにくい傾向があります。その結果、ケアを担う人ほど孤立しやすく、自身の不調を訴えにくい構造が生まれます。
東畑開人氏が指摘するように、「ケアする人をケアする視点」がなければ、職場全体が疲弊の連鎖に陥ることになります。
社会的つながりとしてのケア
上田氏が紹介するスリランカの村の儀式は、象徴的な対比を示します。個人を切り離して治療するのではなく、共同体の中で孤立を解消し、回復を支える仕組みが存在していました。
現代の職場や社会では、ケアは専門家や制度に委ねられがちですが、その分、日常的なつながりが希薄になっています。軽度のうつ状態こそ、医療・人事・社会保障の「隙間」に落ちやすく、そこで孤立が深まります。
結論
職場をさいなむ「軽度うつ」は、個人の問題ではなく、働き方、人事評価、税・社会保障制度が交差する地点に生じる社会的課題です。
重度化してから支えるのではなく、軽度の段階で支えられる制度設計が求められています。それは、企業にとっては人材流出を防ぐ投資であり、社会にとっては医療・福祉コストの抑制にもつながります。
うつやケアを社会の周縁に追いやるのではなく、そこから制度を組み替えていくこと。その視点こそが、生きる「豊かさ」を再構築するための、静かで現実的な改革につながるのではないでしょうか。
参考
・上田紀行「職場をさいなむ『軽度』うつ」日本経済新聞(2025年12月13日)
・平光源『半うつ』サンマーク出版
・東畑開人『雨の日の心理学』KADOKAWA
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
