人生100年時代と言われる中で、人生の最終局面をどのように迎え、どのように完結させるかという問題は、これまで以上に重要性を増しています。医療や介護の問題にとどまらず、判断能力の低下、金銭管理、死後事務、相続、空き家といった課題が連続的に発生するからです。
本シリーズでは、こうした課題を個人の努力や家族関係に委ねるのではなく、「終活インフラ」という視点から捉え直してきました。総まとめとして、シリーズ全体を横断しながら、終活インフラとは何か、なぜ必要なのかを整理します。
終活を「インフラ」として捉える意味
従来、終活は相続対策や葬儀準備など、個人の備えとして語られることが多くありました。しかし、単身世帯の増加や親族関係の希薄化により、個人や家族だけで人生の最終局面を支えることが難しくなっています。
終活インフラとは、誰もが一定水準の支援を受けながら、人生の最終局面を迎え、亡くなった後までを無理なく完結できる社会的な仕組みです。これは特定の制度やサービスを指すものではなく、複数の仕組みが連動する構造を意味します。
「身寄り力」というリスクの可視化
シリーズの出発点として示したのが、「身寄り力」という考え方です。身寄りの有無ではなく、実際に困ったときに動いてくれる人や仕組みがあるかどうかが重要になります。
形式的に家族がいても支援が期待できないケースは増えており、逆に血縁がなくても支援体制が整っていれば、安定した最終局面を迎えることも可能です。身寄り力の不足は、誰にでも起こり得るリスクであり、終活インフラ整備の前提となる問題です。
お金と契約が抱える構造的な限界
第2回では、「お金」と「契約」に焦点を当てました。判断能力があり、経済的にも困窮していない人ほど、公的制度の対象から外れやすいという逆説的な現実があります。
任意後見契約や財産管理契約など、民事契約による備えは有効な手段ですが、契約だけで全てが解決するわけではありません。誰が、いつ、どのように動くのかが設計されていなければ、契約は実務で機能しません。
終活インフラとしては、金銭管理、契約、生活支援が分断されず、連動して機能する仕組みが必要です。
相続と死後事務という最大の空白
相続や死後事務は、人生の最終局面を締めくくる重要な工程です。しかし、死後事務は制度化されておらず、「誰かが善意で動く」ことを前提としてきました。
死後事務が滞ることで、相続手続きが始まらない、空き家が発生する、専門職の無償負担が増えるといった問題が連鎖的に生じます。相続を単独で考えるのではなく、死後事務との連続性の中で設計することが、終活インフラの核心です。
空き家・身元保証・相続実務は一本の線でつながる
派生編で扱った空き家問題、身元保証ビジネス、相続実務は、いずれも個別の問題に見えますが、根底では終活インフラの不在という共通原因でつながっています。
空き家は死後事務と相続の停滞から生まれ、身元保証ビジネスは制度の空白を埋めるために登場し、相続実務は初動不在によって止まります。これらを部分的に解決しようとしても、根本的な解決には至りません。
専門職と社会の役割分担
終活インフラが整っていない現状では、専門職が制度の隙間を埋める役割を担わされがちです。しかし、善意や無償労働に依存した仕組みは持続可能ではありません。
終活インフラとして求められるのは、誰が初動を担い、どこから専門職が関与し、どこで役割が切り替わるのかを明確にすることです。専門職が本来の専門性を発揮できる環境を整えることも、インフラ整備の重要な目的です。
結論
終活インフラとは、人生の最終局面を個人や家族だけに任せず、社会全体で支えるための基盤です。身寄り力の不足は誰にでも起こり得る問題であり、例外的な課題ではありません。
生前の備え、契約、お金の管理、死後事務、相続までを一連の流れとして設計することで、人生は不安なく完結できます。終活を自己責任に押し付けるのではなく、社会のインフラとして再設計することが、これからの高齢社会に求められているといえるでしょう。
参考
日本経済新聞
「終活インフラ」を整えよう(2025年12月30日 朝刊)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。

