終活インフラ② お金と契約――判断能力がある人ほど制度からこぼれ落ちる――

FP
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終活というと、多くの人がまず思い浮かべるのは「相続」や「お金の準備」です。預貯金の管理や財産の整理、遺言書の作成など、元気なうちに備えておくことの重要性は広く認識されています。

しかし現実には、「お金はある」「判断能力も十分にある」にもかかわらず、人生の最終局面で大きな困難に直面する人が少なくありません。その理由は、単にお金の問題ではなく、「契約」と「制度」の隙間にあります。終活インフラを考えるうえで、この点は避けて通れません。

「元気な人」が支援を受けられない理由

高齢者を支える代表的な制度に、成年後見制度があります。しかし成年後見制度は、判断能力が不十分な人を保護する仕組みであり、判断能力がある人は原則として対象外です。

また、生活保護制度は経済的困窮が前提となります。十分な資産を保有している人は利用できません。介護保険制度も、介護サービスの提供が中心であり、金銭管理や契約行為の代行までは担いません。

この結果、「お金はある」「判断能力もある」「しかし身寄りがない」という人は、制度上の支援対象から外れやすくなります。制度は存在しているものの、最も支援を必要とする場面で手が届かないという、いわば制度の谷間が生じているのです。

契約で備えるという発想の限界

こうした制度の限界を補う手段として、民事契約による備えが注目されています。代表的なものとして、任意後見契約、財産管理契約、見守り契約などがあります。

これらは、本人が元気なうちに契約を結ぶことで、将来に備える仕組みです。しかし、契約を結んだからといって、すべてが自動的に解決するわけではありません。

まず、契約内容が複雑で分かりにくいという問題があります。何を誰に任せるのか、どこまでの権限を与えるのかを正確に理解しないまま契約してしまうケースも少なくありません。また、契約を結んだ相手が本当に適切に履行してくれるのかという点も、大きな不安要素です。

さらに、契約はあくまで「約束」に過ぎません。実際に本人が入院したり、判断能力が低下したりした場面で、誰がどのタイミングで動くのかが明確でなければ、契約は機能しません。

金銭管理と生活支援の分断

終活をめぐる大きな課題の一つに、金銭管理と生活支援が分断されている点があります。例えば、財産管理は専門職に依頼していても、日常生活の見守りや緊急時の対応は別の人に任せている、といったケースです。

この分断は、本人にとっても支援する側にとっても負担となります。情報共有が不十分なまま、それぞれが部分的に関与することで、責任の所在が不明確になりやすいからです。結果として、誰も最終的な判断を下せず、対応が遅れることもあります。

終活インフラとして求められるのは、金銭管理、契約、生活支援が連動する仕組みです。お金の管理だけを切り出して考えるのではなく、生活全体の中でどのように機能させるかが重要になります。

民間サービス利用時のリスク

近年は、高齢者向けの身元保証サービスや終身サポート事業など、民間による支援サービスも増えています。これらは制度の空白を埋める存在として期待される一方で、利用にあたっては注意も必要です。

費用体系が分かりにくい、契約内容が不透明、途中解約時の扱いが不利など、トラブルのリスクも指摘されています。また、サービス提供者が将来にわたって存続する保証はありません。

民間サービスを活用する場合でも、契約内容の確認や履行状況のチェックを行う仕組みが不可欠です。ここでも、第三者による監視や連携が重要な役割を果たします。

結論

終活における「お金」と「契約」は、単独では十分に機能しません。判断能力がある人ほど制度からこぼれ落ちやすく、契約だけに頼る備えにも限界があります。

終活インフラとして必要なのは、金銭管理、契約、生活支援を横断的に設計し、いざというときに確実に機能する仕組みです。個人の自己防衛に任せるのではなく、社会全体で支える視点が求められています。

次回は、人生の最終局面を締めくくる「相続」と「死後事務」に焦点を当て、終活インフラの完成形について考えていきます。

参考

日本経済新聞
「終活インフラ」を整えよう(2025年12月30日 朝刊)


という事で、今回は以上とさせていただきます。

次回以降も、よろしくお願いします。

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