社会保障費を減らす発想はなぜ嫌われるのか――「削減」ではなく「転換」の議論へ

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社会保障費の増大は、日本の財政を考えるうえで避けて通れないテーマです。
高齢化の進展に伴い、医療費や介護費、年金給付は年々増え続けています。
こうした状況の中で「社会保障費を抑える必要がある」と言うと、多くの場合、強い反発が生まれます。
なぜ、社会保障費を減らすという発想は、これほどまでに嫌われるのでしょうか。本稿では、その背景を整理し、「減らす」という言葉に隠れている本質を考えます。

「減らす」という言葉が招く誤解

社会保障費を減らすという表現は、多くの人にとって「給付を削られる」「守られてきた制度が壊される」という不安を直ちに想起させます。
医療や介護、年金は生活に直結するため、わずかな変更でも生活不安につながりやすい分野です。
そのため、「減らす」という言葉自体が、制度への攻撃や弱者切り捨てと受け取られやすくなっています。

社会保障は「守るもの」という意識

社会保障制度は、戦後長い時間をかけて「守られるべきもの」として社会に定着してきました。
医療費の自己負担が抑えられ、介護サービスが利用でき、年金が支給される。
これらは、努力の結果というより、制度として当然に受け取れるものという意識が強くなっています。
そのため、支出の見直しや制度変更は、「権利の侵害」と感じられやすい構造になっています。

「誰かの負担が減る」という発想が共有されにくい理由

社会保障費を抑えることは、将来世代の負担を軽くすることでもあります。
しかし、この視点は、今の受益者にはなかなか実感しにくいものです。
将来の負担軽減は見えにくく、今の給付減少や負担増だけが強調されがちです。
結果として、世代間の利害対立が強調され、「減らす議論」は対立構造に陥りやすくなります。

本当に必要なのは「削減」ではありません

社会保障費を巡る議論で見落とされがちなのは、「無駄を減らすこと」と「必要な支出を減らすこと」は本来別だという点です。
医療や介護の質を落とさずに、結果的に支出を抑える方法は存在します。
その代表例が、これまで見てきた住宅環境の整備や予防的な取り組みです。
社会保障費を減らすとは、単純に給付を削ることではなく、支出が増えにくい構造へ転換することを意味します。

「減らす議論」が政治的に扱いにくい理由

社会保障は選挙との関係が極めて強い分野です。
給付削減や負担増を正面から掲げれば、支持を失うリスクが高くなります。
その結果、多くの政策は「現状維持」や「小さな修正」にとどまり、構造的な改革は先送りされがちです。
社会保障費を減らすという議論が嫌われる背景には、こうした政治的事情もあります。

支出の「中身」を問わない議論の限界

社会保障費の議論では、総額が増えたか減ったかが注目されがちです。
しかし、本来問うべきなのは、どのような支出が将来の負担を増やし、どのような支出が負担を抑えるのかという点です。
例えば、予防や生活環境への投資は短期的には支出増に見えても、長期的には医療・介護費の抑制につながります。
こうした視点が共有されない限り、「減らすか、減らさないか」という二項対立から抜け出すことはできません。

「減らす」から「増えないようにする」へ

社会保障費の議論は、「減らす」という表現から距離を取る必要があります。
重要なのは、必要な支援を守りながら、結果として支出が増えにくい仕組みを作ることです。
住宅政策や在宅医療、介護予防といった分野は、その具体例と言えます。
社会保障費を抑えるとは、生活の質を下げることではなく、生活の基盤を整えることなのです。

結論

社会保障費を減らすという発想が嫌われるのは、「削減」という言葉が持つ強いイメージと、制度への不安が結びついているからです。
しかし、本当に必要なのは給付の切り下げではなく、支出のあり方を見直すことです。
社会保障費の議論を「守るか削るか」という対立から、「どうすれば増えにくくできるか」という構造の議論へ移していくことが求められています。
その転換なくして、社会保障制度の持続可能性は語れないのではないでしょうか。

参考

・日本経済新聞「住宅価格高騰、対策はある? 空き家有効活用後押しを」
・日本経済新聞「地方自治体は独自対策も」


という事で、今回は以上とさせていただきます。

次回以降も、よろしくお願いします。

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