日本経済は長く続いたデフレから徐々に抜け出し、インフレ経済への転換点を迎えています。エネルギー価格や人件費の上昇を背景に、企業は久しぶりの値上げに踏み切り、需要に支えられた価格上昇(デマンドプル型インフレ)の兆しも見え始めています。一方で、こうした価格転嫁が賃金上昇や設備投資につながり、供給力強化に結び付くかどうかは不透明です。
特に問われるのが、日本企業の「長期投資」の不足です。人口減少や地政学リスクといった課題が強まるなか、将来の成長に向けた投資が遅れれば、デフレからの脱却効果を持続させることは難しくなります。本稿では、なぜ日本企業は長期投資が進まないのか、その背景を整理し、今後の方向性を解説します。
1. 欧米と比べて低い「長期投資比率」
2014年と2024年のデータを比較すると、日米欧の間で長期投資への取り組みに大きな差が表れています。
- 米国企業:42.9%(2024年)
- 欧州企業:25.5%(2024年)
- 日本企業:16.8%(2024年)
この10年間、欧米企業は積極的に将来の成長に向けた投資を拡大してきたのに対し、日本はほぼ横ばいにとどまっています。
2. デフレ経営モデルからの転換が進まない
日本企業が長期投資に踏み切れない背景には、デフレ環境で形成された経営の癖があります。
- 値上げが難しく“マークアップ型”の価格決定に依存
- 従業員・取引先との長期関係を重視し、規模拡大に消極的
- 業界内の企業数が多く競争が激しい
こうした構造は10年代半ばのガバナンス改革で一部改善したものの、「付加価値に見合う価格を得る」という発想が十分に浸透していない点が課題です。
3. 収益性と将来性に対する評価の低さ
長期投資を支えるのは、企業が市場から高い収益性と将来性を評価されていることです。しかし、日本企業はこの点で欧米に見劣りします。
ROIC(投下資本利益率)とトービンのqがともにグローバル基準で上位40%以上にある企業の比率は以下の通りです。
- 米欧:40%以上
- 日本:23.9%
高収益・高評価の企業が少ないほど、長期投資に理解が集まりにくく、企業自身も投資リスクを取りづらくなります。
4. 「価値創造ストーリー」の不足
欧米企業では、長期投資を正当化するための「価値創造ストーリー」を詳細に示し、投資家や顧客との対話を重ねています。しかし日本企業では以下が十分ではありません。
- 知財・ブランド力・無形資産の価値を説明できない
- 環境・社会問題が将来の事業にどう影響するか示していない
- 長期投資が価格決定力向上につながる“産業のゲームチェンジ”を描いていない
粗利率を見ても、日本企業は米欧より低く、付加価値に見合う価格を得られていません。
- 日本:31.7%
- 欧州:44.5%
- 米国:52.6%
ステークホルダーに「投資する意味」を伝えられなければ、長期投資に対する理解と共感は広がりません。
5. 無形資産投資への管理手法が未発達
現在、企業の競争力の源泉は、
- AI
- DX
- ブランド
- コンテンツ
- 技術
- 人的資本
などの“無形資産”に移っています。しかし日本企業では、これらの投資効果を測定・説明する管理手法が十分に確立されていません。設備投資のように目に見える投資とは異なり、不確実性が高いため、管理手法が不十分なままでは投資判断が遅れがちになります。
6. リスク回避姿勢と現金保有の増加
地政学リスク・サイバーリスク・人口減少などの不確実性も、長期投資を押し下げる要因です。リスクに備える“予備的な現金保有”が増えると、投資に回す余力が減り、結果として成長機会を逃す可能性があります。過度な現金保有は被買収リスクを高める側面もあり、評価改善の重要性は増しています。
結論
日本企業が長期投資を拡大し、供給力を強化するためには、単なる値上げやインフレの追い風だけでは不十分です。必要なのは、次の3つの改革です。
- 稼ぐ力(ROIC)の向上と市場からの評価改善
高収益・高評価の企業が増えるほど、長期投資の土台が整います。 - 価値創造ストーリーの高度化と対話の深化
知財・無形資産、環境・社会課題への対応などを含むストーリーを明確に示し、株主・顧客の理解を得ることが不可欠です。 - 無形資産投資を含む経営管理手法のアップグレード
投資効果を測定し、説明責任を果たす管理の高度化が、質の高い長期投資を支えます。
デフレ経営からインフレ経営へ移行する今こそ、企業は短期利益優先の姿勢から脱却し、長期投資による供給力向上を図る必要があります。そうした取り組みが積み上がることで、持続的な経済成長の実現が期待されます。
出典
・日本経済新聞「供給力を高めるには(下) 長期投資へ対話を深めよ」
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
