社会保障を巡る議論では、しばしば「現役世代の負担」や「将来世代へのツケ」が語られます。
一方で、実際に社会保障を受け取る立場にある年金世代の声は、意外なほど表に出てきません。
不満を強く主張するわけでもなく、改革を求める声を上げるわけでもない。
この「沈黙」は、無関心や無責任から生まれているのでしょうか。本稿では、年金世代が社会保障について語りにくい理由と、その沈黙が持つ意味を考えます。
年金世代は社会保障を「最も実感している」世代です
年金世代は、医療、介護、年金といった社会保障制度を、日々の生活の中で最も強く実感している世代です。
病院にかかる頻度が増え、介護サービスを利用する人も身近にいます。
年金が毎月振り込まれることの安心感も、制度を通じて実感しています。
社会保障は、年金世代にとって抽象的な制度ではなく、生活そのものを支える存在です。
それでも語りにくい理由
にもかかわらず、年金世代が社会保障について本音を語る場面は多くありません。
その背景には、「自分たちは守られている側だ」という意識があります。
これまで制度の恩恵を受けてきた立場として、給付や負担について声を上げることに、どこか後ろめたさを感じている人も少なくありません。
「自分たちが文句を言う立場ではない」「次の世代に負担を押し付けているのではないか」という思いが、言葉を慎重にさせています。
「減らしてほしい」とも「守ってほしい」とも言えない
社会保障を巡る議論では、「給付を守れ」という声と、「負担を減らせ」という声が対立しがちです。
しかし年金世代の多くは、そのどちらにも素直に乗りきれません。
給付が減ることへの不安は確かにありますが、制度が続かなくなることへの不安も同時に感じています。
「自分たちが困らないこと」と「制度が持続すること」の間で揺れ動き、その結果、沈黙を選んでいる側面があります。
世代間対立に巻き込まれたくないという思い
社会保障の議論は、世代間対立として語られることが少なくありません。
年金世代が声を上げれば、「既得権益を守ろうとしている」と受け取られる可能性もあります。
そうした構図の中で、あえて発言しないことが、無用な対立を避ける手段になっている場合もあります。
沈黙は、自己防衛でもあり、社会への配慮でもあるのです。
本音では制度の限界を感じています
沈黙の裏で、年金世代が何も考えていないわけではありません。
医療費や介護費が今後さらに増えること、若い世代の負担が重くなっていることは、多くの人が理解しています。
「このままでは続かない」という感覚を持ちながらも、それをどう言葉にすればよいのか分からない。
それが、年金世代の本音に近い状態と言えるでしょう。
社会保障を「使う側」だからこそ見えるもの
年金世代は、制度を使う立場だからこそ、見えている問題もあります。
医療や介護が、必ずしも生活の質を高めていない場面があること。
本来は住環境の改善や予防で防げたはずの負担が、制度の中で膨らんでいること。
これらは、数字だけを見ていては分からない現実です。
沈黙を「無責任」と片付けないために
年金世代の沈黙を、「自分たちさえ良ければいい」という態度と決めつけるのは適切ではありません。
むしろ、その沈黙の中には、制度を壊したくないという思いと、次の世代への遠慮が同時に存在しています。
本当に必要なのは、沈黙を責めることではなく、安心して本音を語れる議論の場を作ることです。
年金世代の本音が必要な理由
社会保障制度は、受け取る側と支える側の双方が納得しなければ成り立ちません。
年金世代の本音が語られないままでは、議論は「削るか守るか」という単純な対立に陥ります。
住宅、医療、介護を含めた生活全体の視点から、「どこにお金を使えば、結果として負担が軽くなるのか」を語れるのは、制度を実際に使ってきた年金世代でもあります。
結論
年金世代が社会保障について語りにくいのは、無関心だからではありません。
守られている側としての自覚と、制度の行く末への不安が、言葉を慎重にさせているのです。
その沈黙の中には、社会保障を次の世代につなぎたいという思いが含まれています。
社会保障の議論を前に進めるためには、年金世代の本音を「責めずに聞く」姿勢が欠かせません。
沈黙を破るべきなのは、年金世代だけではなく、社会全体なのかもしれません。
参考
・日本経済新聞「住宅価格高騰、対策はある? 空き家有効活用後押しを」
・日本経済新聞「地方自治体は独自対策も」
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
