実質賃金を上げるには何が必要か――「手取り政策」の限界と給付付き税額控除という選択肢

FP

物価上昇が続く中で、実質賃金をどう引き上げるかは日本経済の最重要課題の一つです。衆院選を前に、各党は「手取りを増やす」ことを掲げ、所得税減税や年収の壁の見直しを打ち出しています。しかし、それらの政策は本当に実質賃金の底上げにつながるのでしょうか。本稿では、近年の「手取り政策」の限界を整理したうえで、給付付き税額控除という制度が持つ可能性について考えます。

所得税減税では実質賃金は上がらない

近年注目を集めた政策の一つが、所得税の発生ポイント、いわゆる「年収の壁」の引き上げです。2025年末には、基礎控除の上乗せにより課税開始水準を引き上げる合意がなされました。

しかし実際の制度設計では、基礎控除の本体には手を付けず、特例的な上乗せにとどめたため、恩恵は年収600万円台までに限定されました。高所得層だけでなく、低所得層にも十分な効果が及んでいるとは言い難い内容です。

そもそも、所得税は累進課税であり、一定額を超えた瞬間に手取りが急減する仕組みではありません。労働行動に強い影響を与えているのは、所得税よりも社会保険料の負担です。

本当の「壁」は社会保険料にある

労働供給を抑制している実質的な壁は、「週20時間労働」を境に社会保険料の負担が発生する点にあります。最低賃金水準で考えると、年収はおよそ117万円程度です。

このラインを超えると、健康保険料や厚生年金保険料の自己負担が生じ、手取りが大きく減少します。そのため、所得税の壁を引き上げても、社会保険料の壁が残る限り、労働時間を増やそうと考える人は多くありません。

また、所得控除による減税は、そもそも「引く税額」が少ない低所得層には十分に届かないという構造的な問題もあります。

給付付き税額控除という発想

こうした限界を踏まえると、低所得層にも確実に届き、かつ労働意欲を高める仕組みが必要です。その有力な選択肢が給付付き税額控除です。

給付付き税額控除は、一定の労働所得がある人に対して、税額控除を行い、控除しきれない分は給付として支給する制度です。所得が増えるにつれて給付額も増加する設計とすれば、実質的に時間当たり賃金が上昇したのと同じ効果が生まれます。

これにより、働くほど手取りが増えるという明確なインセンティブが生じ、労働供給の拡大が期待できます。

社会保険料の壁を乗り越える制度設計

給付付き税額控除は、社会保険料の壁への対策としても活用できます。例えば、給付の要件として最低労働時間を週20時間と設定し、その水準で発生する社会保険料と同程度の定額給付を行う仕組みです。

この定額部分により、社会保険料負担による手取りの減少を相殺し、それ以上働いた場合には追加的な給付が得られるようにすれば、労働時間を増やす誘因が生まれます。

さらに、この制度を会社員だけでなく、自営業者など国民年金の第1号被保険者にも適用すれば、不公平感を抑えつつ労働参加を促すことが可能です。

労働時間規制緩和は解決策にならない

一方で、労働時間規制を緩和して成長や賃上げを実現しようとする議論もあります。しかし、長時間労働は生産性向上につながりにくく、健康リスクや過労死の問題を再燃させるおそれがあります。

また、労働時間規制は女性のキャリア形成やジェンダー平等にも重要な役割を果たしてきました。規制緩和は、結果として性別役割分業への逆戻りを招く可能性もあります。

実質賃金を高めるために必要なのは、長く働くことではなく、限られた時間で高い付加価値を生み出すことです。

生産性向上と制度改革の両輪で

最終的に、持続的な賃上げは企業の生産性向上なくして実現しません。研究開発投資や人材育成への支援を通じて、付加価値を高めることが不可欠です。

そのうえで、給付付き税額控除を活用し、働く人の労働参加を後押しすることで、労働力の量と質の両面を強化する。こうした制度設計こそが、実質賃金を引き上げ、経済成長につなげる現実的な道筋ではないでしょうか。

結論

所得税減税や労働時間規制緩和だけでは、実質賃金の上昇は期待できません。社会保険料の壁を意識した給付付き税額控除の導入と、生産性向上への投資を組み合わせることが重要です。
「手取りを増やす」という言葉の裏にある制度設計まで踏み込んだ議論こそ、今後の日本に求められているといえます。

参考

・日本経済新聞 経済教室
「実質賃金を上げるには(下) 労働促す給付付き控除に」
横山泉(一橋大学教授)


という事で、今回は以上とさせていただきます。

次回以降も、よろしくお願いします。

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