日本の医療提供体制は、いま静かに揺らいでいます。
賃金や物価の上昇、医療の高度化が進む一方で、公定価格である診療報酬はそれに十分追いついていません。その結果、多くの医療機関が経営的な厳しさに直面しています。
一方で、医療費の議論は常に「抑制」と「負担増」の間で揺れ動きます。社会保険料を引き上げれば就労世代の負担が重くなります。では別の道はないのでしょうか。
本稿では、医療費と産業政策を結びつける視点から、消費税財源の活用という論点を整理します。
医療機関の赤字と診療報酬の限界
近年、病院の約7割、法人診療所の約4割が赤字との報道もあります。主因は、物価・人件費上昇に対し診療報酬改定が十分でないことです。
診療報酬は公定価格です。市場原理による価格転嫁ができません。
他産業であれば価格改定で吸収できるコスト上昇も、医療では制度改定を待たねばならない構造です。
しかし、診療報酬を大幅に引き上げれば、医療保険財政に直結します。保険料引き上げとなれば、現役世代の可処分所得をさらに圧迫します。高齢化が進む中、この構図は年々重くなっています。
医療の質を維持しつつ、社会保険料の急増を避ける。この難題が続いています。
医療費の“海外流出”という構造
2023年の医療費は約48兆円規模とされています。そのうち医薬品が約4分の1、医療機器材料が約1割を占めます。
問題は、その相当部分を輸入に依存している点です。医薬品や医療機器の貿易赤字は拡大傾向にあり、医療費の一定割合が海外へ流出している構造が続いています。
つまり、医療費は国内の安心・安全を支える支出であると同時に、産業構造上は外貨流出の要因にもなっています。
医療費抑制政策が長く続いた結果、国内メーカーの研究開発投資や設備投資が伸び悩み、競争力の差が広がった側面も否定できません。
医療機関が経営的に疲弊すれば、高度医療機器の更新も進みません。それは国内メーカーの受注減にもつながります。医療提供体制と医療産業は、相互依存関係にあります。
超高齢社会は“最大の実証市場”である
日本は世界に先駆けて超高齢社会に入りました。
見方を変えれば、日本は世界最大級の高齢医療・介護の実証市場を持っています。
医療機器や医薬品の世界市場は拡大基調にあります。高齢化が進む国は今後も増えます。国内需要を基盤に技術を磨き、それを海外展開する構図が描ければ、医療費は「コスト」から「投資」へと意味を変えます。
かつて韓国では、国家主導でバイオ後続品企業が育成され、世界市場で存在感を高めました。医療は成長産業でもあります。
日本が医療産業政策をどこまで戦略的に設計できるかは、今後の経済構造にも影響します。
消費税財源という選択肢
医療財源は主として保険料と公費で賄われています。公費部分には消費税収が充てられています。
消費税は広く薄く負担を求める税目です。社会保険料と異なり、現役世代の就労にのみ負担が集中する仕組みではありません。
増加傾向にある消費税収の一部を、医療体制の安定化や医療産業の基盤整備に戦略的に振り向けるという発想は、財源構造の再設計という意味を持ちます。
ただし、消費税は逆進性の問題を抱えます。単に税率を上げるという議論ではなく、給付付き税額控除や軽減措置との組み合わせを含めた制度設計が不可欠です。
医療産業育成は単年度の景気対策ではありません。研究開発支援、治験環境整備、スタートアップ支援、医療機関の設備更新支援など、多層的な政策が必要です。
医療はコストか、国家基盤か
新型感染症の拡大時、日本はワクチンの多くを海外に依存しました。
医療の供給能力は「命の安全保障」という側面を持ちます。
医療を単なる社会保障費とみるのか、それとも国家基盤と位置づけるのか。
視点の違いは、財政配分や産業政策の方向性を左右します。
医療費を抑えるか、増やすかという二元論ではなく、どう循環させるかという視点が求められます。
結論
医療機関の経営安定、社会保険料負担の抑制、医療産業の国際競争力強化。この三つは本来、対立概念ではありません。
医療費の一部を国内産業の成長につなげる設計ができれば、財政支出は将来の税収基盤を生み出します。
消費税財源の活用は、その一つの選択肢にすぎません。しかし、医療を国家基盤と捉えるならば、財源構造の再設計を議論する段階に来ているといえます。
医療は支出であると同時に、投資でもあります。
超高齢社会の日本にとって、その視点転換は避けて通れません。
参考
日本経済新聞「消費税財源で医療産業を育てよ」2026年2月26日朝刊
厚生労働省 医療費の動向に関する資料
財務省 消費税収の推移資料

