共生社会とは、誰もが支え合いながら生きる社会のことです。
しかし、その理念を現実の制度として支えるには、財政という現実的な基盤が必要です。
高齢化や人口減少が進むなか、税と社会保険料の負担は限界に近づきつつあります。
その一方で、貧困、孤立、障害、外国人支援など、包摂が必要な領域は拡大しています。
「誰を、どのように支えるのか」――。
それは単なる財源論ではなく、社会の倫理そのものを問うテーマです。
包摂社会のコスト構造
共生社会を支える財源は、医療や介護といった既存の社会保障だけでなく、教育、雇用、地域支援など幅広い分野に広がっています。
とりわけ「防貧」(貧困を未然に防ぐ)や「孤立対策」といった新しい政策分野では、即効性のある経済効果が見えにくく、予算が後回しにされがちです。
しかし、長期的に見れば、これらの分野こそ社会の安定と成長を支える“基盤投資”です。
財務省の分析でも、教育・福祉への支出が将来の税収増に寄与するとの試算が示されています。
それにもかかわらず、短期的な財政均衡を優先するあまり、「包摂のための支出」は削られやすい。
この“見えないリターン”をどう政策評価に反映するかが、今後の社会保障設計の大きな課題です。
「支える人」も支える財政へ
これまでの社会保障は、「支援を必要とする人」に焦点が当てられてきました。
しかし、共生社会では「支える人」をどう支えるかが同じくらい重要です。
介護・保育・医療・福祉などの現場では、人材不足が深刻化し、低賃金や長時間労働が続いています。
支援の担い手が報われる仕組みがなければ、制度そのものが維持できません。
現場の処遇改善やキャリア形成を「人への投資」として財政に位置づけることが不可欠です。
高市政権の「責任ある積極財政」が本当に“責任ある”政策となるには、こうした人的基盤への投資を成長戦略の一部として扱う視点が欠かせません。
倫理と選択 ― 限られた資源をどう分かち合うか
包摂社会のもう一つの課題は、「誰を、どの順番で支えるか」という倫理的な選択です。
たとえば、少子化対策に重点を置けば、短期的には高齢者福祉が抑制される可能性があります。
一方で、高齢者医療を優先すれば、若い世代の将来不安が増すかもしれません。
このトレードオフを解消するには、国民的な対話と透明性が必要です。
支援を「配分」ではなく「共創」として設計する――すなわち、受益者と負担者の垣根を越えた仕組みづくりが求められます。
「どの政策に、なぜ税金を使うのか」を見える化し、国民が納得して参加できる民主的な財政運営が理想です。
地方財源と自治の力
共生社会の基盤は地域にあります。
介護、教育、子育て、生活支援の多くは自治体が担っていますが、財源の多くは国からの交付金や補助金に依存しています。
この構造では、地域の創意工夫が生かされにくいという課題があります。
一部の自治体では、独自の「共生社会基金」や「地域包括支援税」を設け、地域の実情に即した支援策を展開しています。
地方自治体が財政面でも裁量を持ち、地域の人々が“自分たちの共生”を選び取る。
そうした分権的な仕組みこそ、持続可能な包摂モデルの基盤となります。
「責任ある積極財政」と共生社会の接点
高市政権の「責任ある積極財政」は、AI・バイオ・エネルギーなどへの投資を柱に据えています。
しかし、共生社会を実現するためには、こうした成長分野と社会政策を切り離して考えることはできません。
たとえば、介護ロボットや遠隔医療、地域デジタルプラットフォームへの投資は、経済政策であると同時に社会保障でもあります。
「経済成長の果実で社会を支える」だけではなく、「社会の安定が経済成長を支える」という双方向の構造を明確にすること。
これこそが“責任ある積極財政”の本来の姿であり、共生社会と経済政策をつなぐ鍵となります。
結論
共生社会の財政は、単に「配る」ための財源ではなく、「つながりを生む」ための投資です。
包摂を支える仕組みは、経済や行政の効率化だけでは生まれません。
人を信頼し、地域を信頼し、未来に責任を持つ――。それが“倫理としての財政”の出発点です。
高市政権の進める積極財政が、単なる景気対策にとどまらず、社会の包容力を高める方向へ進化するかどうか。
その行方が、日本の共生社会の成熟度を決めると言っても過言ではありません。
支える側も、支えられる側も、一つの社会を共有する。
その意識の転換こそが、持続可能な包摂モデルの第一歩です。
出典
・財務省「財政制度等審議会」資料(2025年)
・厚生労働省「全世代型社会保障構築会議」報告書
・内閣府「共生社会政策の方向性に関する中間整理」
・日本経済新聞「共生社会と社会保障」シリーズ(2025年11月)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
