介護サービスの2割負担の対象を広げる議論の中で、「高齢者の働き方」への影響は見過ごせません。所得基準が引き下げられると、働いて収入が増えた高齢者が新たに2割負担の対象となる可能性があります。これは、「働いたら損をする」という逆インセンティブを生みかねません。
人生100年時代において、高齢者が働き続けることは重要なテーマです。健康維持や生きがいだけでなく、社会保障制度の支え手としても期待が高まっています。本稿では、介護保険の所得基準と高齢者の就労がどのように関係し、どのような歪みを生む可能性があるのかを深掘りします。
1 高齢者の働き方が重要性を増している背景
日本では65歳以上の高齢者の就業率が上昇しています。
- 65~69歳:49%
- 70~74歳:33%
(いずれも総務省の就業構造基本調査より)
高齢者は今や「支えられる側」であると同時に、現役世代の不足を補う「支える側」としての役割も担いつつあります。年金だけでは生活が成り立たないという経済的理由だけでなく、仕事を通じた社会参加や健康維持の観点からも働く高齢者は増加しています。
2 所得が増えると「2割負担」に該当する可能性
現在の介護保険の所得基準は「280万円」。
この数字は、年金収入に少しのパート収入が加わると到達してしまう水準です。
(例)
- 年金収入:220万円
- パート収入:70万円
= 合計290万円 → 2割負担に該当
今回示された見直し案では、基準が230万〜260万円に下がるため、働いて得た収入が負担増につながるケースが増える可能性があります。
「少し働くと2割負担になるから働かないほうが得なのでは?」
という心理が働き、就労意欲が削がれるリスクがあります。
3 高齢者就労を巡る“所得の壁”
これは、いわゆる「年金+働き方の壁」と同じ構造です。
- 年金の在職制度
- 税と社会保険の扶養の壁
- 住民税非課税ライン
- 75歳以上の医療負担1割→2割負担の基準
これらの制度により、所得が増えた瞬間に負担が大きく跳ね上がる「段差(クリフ)」が存在します。介護保険の2割負担も、これらの段差の1つとして高齢者の行動に影響します。
特に問題なのが、次のようなケースです。
・働いたわずかな収入が“丸ごと消える”
パート収入が年20万円増えた結果、介護保険の自己負担が年間12万円増加すると、働いたメリットが半減します。
・就労調整が起こる
「基準に引っかからないように、働く日数を調整する」という動きが生じやすくなります。
労働人口不足が深刻な中で、これは政策目的と逆方向の結果を生む可能性があります。
4 所得基準が下がると何が起きるか
所得基準の引き下げは、以下のような影響を及ぼします。
(1)新たに2割負担になる層が増加
230万円案では約33万人、260万円案でも約13万人が対象となります。
(2)年金+パート収入層が最も影響を受ける
年金で230〜250万円ほどの人が、月数万円のパート収入を得ると基準超えになりやすい構造は変わりません。
(3)就労と負担の“ねじれ”が拡大する
働いて社会に貢献したにもかかわらず、負担が増えてしまうという逆転現象が続きます。
5 では、所得基準を変えない方が良いのか?
所得基準を据え置くことも一つの選択肢ですが、問題があります。
- 現役世代の介護保険料が上がり続ける
- 高齢者内の負担の不公平が拡大する
- 資産のある層が軽い負担のままになる
- 給付費が今後さらに増加する
つまり、所得基準を現状のままにすると、制度の持続性が損なわれるというリスクがあります。
6 「預貯金要件」が就労調整を回避する可能性
第3回で解説したように、預貯金要件を併用することで、所得基準だけに依存しない負担設定が可能になります。
(例)
所得が250万円→2割負担の基準を超える
→ しかし預貯金が300万円以下なら1割負担のまま
このように「資産」と「所得」の両方で判断することで、
年金+少しのパート収入で2割負担になる“壁”がある程度緩和されます。
7 段階的な負担増という選択肢
現行制度では、所得が1円でも基準を超えると1割→2割へと一気に上がります。この“段差(クリフ)”が就労を抑制する最大の要因です。
今後の改革の方向性としては、段階的な負担設定が検討される可能性があります。
(案)
- 230万円〜240万円:1.2割
- 240万円〜260万円:1.5割
- 260万円〜280万円:1.7割
- 280万円以上:2割
このように負担を「滑らか」にすることで、就労インセンティブを損なわずに制度の公平性を維持できます。
8 高齢者の就労が介護保険の財政を支える
高齢者が働くことで期待される効果は非常に大きいです。
- 年金だけに頼らない生活が可能
- 介護保険料を払う側として制度を支える
- 健康維持につながり、介護リスクが低下する
- 社会参加が孤独防止にもなる
つまり、就労と介護保険は本来「対立関係」ではなく、相互に支え合う関係にあります。制度設計によっては、高齢者の働く意欲を削ぐのではなく、むしろ後押しする形にすることができます。
結論
介護サービスの2割負担の対象拡大は、高齢者の働き方にも直接的な影響を与えます。所得基準が引き下げられれば、年金に加えて働く高齢者が新たな負担増に直面する可能性があり、就労意欲の低下や就労調整が生じるリスクがあります。
しかし、制度の持続性を確保するためには、ある程度の負担見直しは避けられません。その際、預貯金要件の導入や段階的な負担設定など、高齢者の就労を阻害しない仕組みを整えることが重要です。
次回は、介護保険全体の構造的課題として「人材不足」「地域格差」「給付費の増加」などを取り上げ、制度そのものの持続性をどう確保するかについて深掘りします。
出典
- 総務省:就業構造基本調査
- 厚生労働省:介護保険部会 資料
- 日本経済新聞「介護保険料40~120億円圧縮」(2025年11月29日)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
