近年、職場におけるメンタル不調への対応と、ハラスメント防止の要請は、同時に強まっています。部下の不調に気づいた管理職が声をかけることは推奨される一方で、その関わり方によってはハラスメントと受け取られるリスクも指摘されるようになりました。
善意の配慮が問題視され、逆に距離を取れば「放置」と評価される。この矛盾した状況は、個人の対応力の問題ではなく、制度設計の曖昧さから生じています。
増え続ける「判断に迷う場面」
メンタル不調の兆候は、業務ミスの増加、遅刻や欠勤、態度の変化など、仕事の現場で最初に現れます。管理職が状況を把握し、業務や働き方について話し合おうとすることは、組織としては合理的な行動です。
しかし、その過程で「最近様子がおかしい」「体調は大丈夫か」といった言葉が、本人の受け止め方次第では精神的圧迫や干渉と解釈される可能性があります。メンタル不調というセンシティブな領域では、意図と受け止めの乖離が生じやすくなります。
ハラスメント対策が生む萎縮
パワーハラスメント防止法制の整備以降、企業はハラスメントに対して厳格な姿勢を取るようになりました。これは職場環境の改善という点で大きな意義があります。
一方で、管理職の側では「何か言えば問題になるのではないか」という萎縮が生まれやすくなっています。結果として、不調の兆候があっても踏み込めず、事態が深刻化してから人事や専門職につながるケースも少なくありません。
ハラスメント防止が、結果的に早期対応を難しくしている側面は否定できません。
メンタル不調は「指導」か「配慮」か
制度上の大きな課題は、メンタル不調への対応が「業務指導」なのか「健康配慮」なのかが明確に整理されていない点です。
業務の改善を求める指導は、職務上正当な行為ですが、精神状態に配慮した声かけや調整は、指導と受け取られない場合もあります。この境界が曖昧なままでは、管理職は常にリスクを抱えた状態で対応せざるを得ません。
本人の状態や受け止め方によって評価が変わる構造は、対応を属人的なものにし、組織としての一貫性を損ないます。
人事・法務・医療の分断
本来、メンタル不調とハラスメントの線引きは、管理職一人が判断すべきものではありません。しかし現実には、初期対応の多くが現場に委ねられています。
人事部、法務部門、産業医や外部専門家との連携が十分でなければ、管理職は「ケアも指導もするが、責任は個人で負う」という不安定な立場に置かれます。制度上の役割分担が不明確なことが、リスクを拡大させています。
社会保障・労働政策との接続不足
メンタル不調は医療や社会保障の領域と深く関わりますが、職場での初期対応と制度的支援の接続は必ずしも円滑ではありません。
軽度の段階では公的支援につながりにくく、かといって職場内での踏み込んだ対応はハラスメントリスクを伴う。この「空白地帯」に、当事者も管理職も置き去りにされています。
制度が重度化を前提に設計されていることが、線引きの難しさを一層強めています。
結論
メンタル不調とハラスメントの線引きが難しいのは、現場の感覚が鈍いからではありません。対応を求めながら、そのための判断基準と役割分担を示していない制度設計に問題があります。
管理職に求められるのは、専門的な診断や最終判断ではなく、組織として定められたプロセスに沿って「つなぐ」役割であるはずです。そのためには、配慮と介入の境界を明文化し、個人の裁量に過度な責任を負わせない仕組みが不可欠です。
メンタル不調とハラスメントを対立概念として扱うのではなく、両者を同時に防ぐ制度設計へと進むこと。それが、職場の安心と持続性を支える現実的な道筋だと言えるでしょう。
参考
・上田紀行「職場をさいなむ『軽度』うつ」日本経済新聞(2025年12月13日)
・厚生労働省「職場におけるハラスメント対策」
・東畑開人『雨の日の心理学』KADOKAWA
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
