――新ルールのポイント解説
1. 日本のルールが「世界標準」とズレていた理由
スタートアップと投資家(ベンチャーキャピタル=VC)が資金契約を結ぶとき、日本では長年「株式上場(IPO)を目指すこと」を努力義務として契約に盛り込む慣行がありました。
一見すると「企業が成長して上場するのは良いこと」に思えますが、問題はそのタイミングです。VCの投資ファンドは運用期間が10年ほどと限られており、出口戦略を早めに確保したい事情があります。そのため、スタートアップの成長が十分でなくても「とにかくIPOを」という圧力がかかるケースが少なくなかったのです。
この仕組みが「小粒上場」を生み出す原因のひとつとされてきました。規模の小さいまま上場した企業は、その後の株価や成長に苦しむことが多く、長期的なイノベーション育成につながりにくいという指摘がありました。
一方、アメリカや欧州では「IPO努力義務」は存在しません。M&A(大企業による買収)や株式のセカンダリー取引(未上場株の売買)も、投資回収の有力な手段として認められています。ここに「日本流」と「世界標準」の大きな違いがあったのです。
2. 改定されるガイドラインの柱
経済産業省は2025年9月末までに、スタートアップ投資契約のガイドラインを大きく見直します。そのポイントを整理すると、次の3つに集約できます。
(1)IPO努力義務を外す
これまで多くの契約書に書かれていた「IPOを目指すこと」が、今後は削除されます。IPO以外にも選択肢があるという前提を示すことで、海外投資家にとって「日本の契約は特殊だ」という印象をなくし、国際標準に近づけます。
(2)M&Aやセカンダリーも合理的な選択肢と明記
新しいガイドラインでは「M&Aや未上場株のセカンダリー取引も合理的な回収方法である」とはっきり記載されました。これにより、企業側も「IPOか、それ以外か」ではなく、状況に応じた出口戦略を選べるようになります。
例えば、革新的な技術を持つ小さな企業が大手に買収されれば、その技術は大企業の資本力や販売網を通じて一気に世界展開できます。IPOだけが正解ではない、という考え方がようやく日本でも認められるのです。
(3)「投資額以上の返還請求」を廃止
これまで日本では、スタートアップが契約に違反した場合、VCが投資額以上を返還請求できる「リクープ条項」が一般的に盛り込まれていました。
これは、起業家が失敗したときに「個人財産で株式を買い戻さなければならない」リスクを生み、再挑戦を妨げる要因になっていました。海外投資家からは「こんな厳しいルールでは、失敗が許されない」と問題視されてきた部分です。
新ガイドラインでは、この条項を「設定しない」と明記し、世界標準に合わせました。起業家が挑戦しやすい環境に一歩近づいたといえるでしょう。
3. なぜ今、この見直しが必要だったのか
背景には、日本のスタートアップ投資額が国際的に見て小さいことがあります。
- 日本(2024年):約7,793億円
- 米国(同年):約30兆円
これほどの差があるのは、単に市場規模だけでなく「投資環境の魅力」の違いも大きいのです。海外投資家にとって、日本の契約慣行は「特殊でリスクが高い」と映り、資金が集まりにくい状況が続いてきました。
今回のガイドライン改定は、その壁を取り払う試みでもあります。
4. 改定で期待される効果
今回の見直しによって、以下のような効果が期待されています。
- 海外投資家の参入増加:国際標準のルールになれば、海外マネーが流入しやすくなる
- 多様な出口戦略:IPOだけでなく、M&Aやセカンダリーでの回収も選べる
- 再挑戦のしやすさ:失敗しても個人財産を失わず、起業家が再び挑戦できる環境に
これらは単に「投資家に有利になる」という話ではなく、スタートアップが挑戦しやすくなることで、結果的に新しい技術やサービスが社会に広がることにつながります。
5. 読者へのメッセージ
「投資契約のガイドライン改定」と聞くと、自分には関係ないように思えるかもしれません。ですが、スタートアップが伸びやすい環境になることは、私たちの生活にも影響します。
- より便利なサービスが生まれる
- 医療やエネルギー、AIなど生活を変える技術が実用化されやすくなる
- 起業や副業に挑戦しやすい社会風土が育つ
挑戦を支えるルールづくりは、日本社会が変わっていくサインともいえるのです。
まとめ
経産省が打ち出す新しいガイドラインの柱は、
- IPO努力義務を外す
- M&Aやセカンダリーを選択肢に加える
- 投資額以上の返還請求を廃止する
という3点です。
これは単なるルール改定ではなく、「失敗しても再挑戦できる社会」への道を開くものです。スタートアップが挑戦しやすくなれば、新しい産業やサービスが次々に生まれ、私たちの暮らしも豊かになる――その第一歩となるでしょう。
(参考:日本経済新聞 2025年9月18日 朝刊)
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
