日本の政治報道では、しばしば「身を切る改革」という言葉が飛び交います。とりわけ日本維新の会が掲げてきたスローガンとして浸透し、議員定数削減や議員報酬のカットなどが象徴的な施策として語られてきました。
しかし、そもそも「身を切る」とは誰の身を、何のために切るのか。政治改革・行政改革との関係は何か。さらに、国内外ではどのような“身を切る改革”が行われてきたのか。言葉だけが独り歩きしがちなテーマだからこそ、その本質を整理して理解することが重要です。
この記事では、日本経済新聞の記事内容を参考に、「身を切る改革」の歴史的な文脈と国内外の比較から、その意味合いを丁寧に解説します。
■「身を切る改革」は1980年代から存在する
言葉の出発点は1980年代に遡ります。
当時は“行政改革”の一環として、官公労働者の配置転換なども含め公務員組織の効率化が議論され、「官公労働者も身を切る必要がある」という主張が見られました。
つまり、当初の主体は「行政」でした。
■1990年代から“政治家自身”が身を切る対象に
1990年代に入り、政治不信の高まりや選挙制度改革の流れの中で、“身を切る”主体は政治家自身へと移っていきます。
海部俊樹首相は1991年、政治改革特別委員会で「自ら身を切る改革」を掲げ、衆院議員定数の8%削減に言及。しかし与党内の抵抗もあり実現には至りませんでした。
その後も、政治改革や選挙制度改革の文脈で「議員自らが痛みを伴う改革を行うべき」という議論が続いていきます。
■“国民負担”とセットで語られる構図
特徴的なのは、「身を切る改革」が消費税増税や社会保障負担の拡大といった国民負担とセットで語られる傾向が強いことです。
- 村山富市首相は、消費税率5%への引き上げを進める際、行政改革と併せて「身を切る思いで取り組む」と発言。
- 2019年の消費税10%引き上げ時は、維新が「議員定数削減などの身を切る改革が先だ」と主張。
政治家が国民に負担を求める際、「まず自分たちが痛みを伴う改革を行う」という政治的メッセージとして使われる場面が目立ちます。
■「議員特権」見直しにも波及
“身を切る”議論は、議員の待遇見直しにも広がりました。
- 国会議員年金は小泉政権の構造改革で廃止
- 政務活動費・旧文通費の見直し
- 政治資金問題を受け、派閥の解散につながる流れも発生
政治の透明性向上や、特権と見られやすい制度の廃止が進んだ背景には、「身を切る改革」の世論の後押しがあります。
■海外にも「身を切る改革」はあるが、日本とは文脈が違う
興味深いのは、海外では「身を切る改革」という固有の言葉はあまり使われない点です。ただし、類似する改革は存在します。
●イタリア:議員定数を3割削減
2020年、国民投票を経て、下院630 → 400、上院315 → 200に減らしました。年間約180億円の歳出削減効果が生じています。
●フランス:マクロン大統領の公務員削減・年金改革
政治・行政のスリム化を掲げたものの、野党の反対で多くが停滞。
●米国:トランプ政権の行政改革
政府効率化省(DOGE)を設置し、イーロン・マスク氏が主導。政府調達・補助金の見直しで2,000億ドル以上を削減したとされます。
●アルゼンチン:ミレイ大統領の「チェーンソー改革」
省庁18 → 9に再編、国家公務員5万人超削減。
予算執行額が前年同期比31%減という大規模なスリム化が実施されました。
■国内議論の特徴は「象徴性」と「規模感」
日本の場合、議員定数削減や報酬カットは象徴的な改革として注目されます。
一方で、削減額そのものは、国家予算規模から見ると決して大きくありません。
- 日本で議員定数を1割削減した場合:年間20億円弱
- イタリアの削減効果:年間約1億ユーロ(約180億円)
日本と欧州の制度規模の違いもありますが、「象徴としての意味」が国内ではとりわけ重視されています。
結論
「身を切る改革」とは、本来は行政組織の効率化を意味するものでしたが、日本では次第に“政治家自身の痛み”を伴うものとして定着してきました。そして国民負担を伴う政策を進める際の“信頼確保”のメッセージとして多用されるようになりました。
ただし、その財政効果は大規模とは言えず、多くは象徴的な意味合いを持ちます。一方で海外では、行政改革や年金制度改革など、より大規模な“構造的な身を切る改革”が展開されている国もあります。
「身を切る改革」という言葉に触れたときは、
誰が、何のために、どれほどの規模で“身を切る”のか
を考えることが、本質を見誤らないための第一歩になります。
出典
・日本経済新聞「改革『身を切る』のは誰か」(2025年11月21日)
ほか関連報道より整理。
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。

