「年金世代が感じる制度不信」シリーズ・第6回 金融所得は見られるのに、なぜこの年金は見られないのか 収入判定に潜む一貫性の欠如

FP
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介護保険や各種負担制度をめぐる議論の中で、近年よく耳にするのが「収入判定の厳格化」です。
株式の配当や譲渡益といった金融所得についても、源泉徴収で完結している場合であっても、負担判定に含める方向で検討が進んでいます。

公平性の観点から見れば、一定の合理性がある議論です。
しかし、その一方で、年金世代が強い違和感を覚える点があります。
なぜ金融所得は細かく見られるのに、特定の年金は見られないのかという問題です。

収入判定は「網を広げる」方向へ

医療や介護の制度維持を考えれば、負担能力に応じた負担を求める流れは避けられません。
そのため、これまで収入として扱われにくかった金融所得にも、目が向けられるようになっています。

確定申告をしていれば、金融所得はすでに所得として把握されています。
源泉徴収で完結している場合も、実質的な経済力を反映させるべきだという考え方は、理解できる部分があります。

制度全体としては、「見える収入はすべて見る」という方向に進んでいるように見えます。

それでも見られない年金がある

ところが、その流れの中でも、遺族年金は依然として収入判定の対象外です。
生活費として継続的に受け取っているにもかかわらず、老齢年金とは異なる扱いを受けています。

ここで年金世代が感じるのは、
「制度はどこまで本気で公平を目指しているのか」
という疑問です。

金融所得のように、比較的少数の人が対象となる収入には厳しい目を向けながら、年金という大きな領域では線引きが曖昧なまま残されています。

年金の「性格」で線を引く難しさ

遺族年金が収入判定に含まれない理由として、

  • 生活保障の性格が強い
  • 弱者保護の制度である

といった説明がなされることがあります。

しかし、実際の生活を見れば、遺族年金で安定した収入を得ている人もいれば、老齢年金だけで暮らしている人もいます。
生活実態に大きな差がないにもかかわらず、「年金の性格」という抽象的な理由で扱いが分かれることに、納得できない人が出てくるのは当然です。

制度が行動を歪める可能性

収入判定の一貫性を欠く制度は、人々の行動にも影響を与えます。
たとえば、

  • 働いて老齢年金を増やすより、遺族年金の方が有利
  • 金融資産を持つと負担が増える

こうした認識が広がれば、本来望ましいはずの行動が抑制されてしまいます。

制度が意図せず、
「この生き方の方が得だ」
というメッセージを発してしまうことは、長期的に見て健全とは言えません。

年金世代が求めているのは単純な平等ではない

年金世代が求めているのは、すべてを同一に扱う単純な平等ではありません。
事情の違いを踏まえたうえで、なぜその線引きが必要なのかを理解できることです。

金融所得は細かく見られるのに、なぜこの年金は見られないのか。
その問いに、制度として納得できる説明がなければ、不信感は解消されません。

結論

収入判定の見直しは、制度維持のために不可欠な議論です。
しかし、その過程で一貫性を欠いた線引きが残れば、年金世代の制度不信はむしろ深まってしまいます。

重要なのは、

  • 何を収入と見なすのか
  • なぜそれを対象にするのか

この二点を、生活実感に即して丁寧に説明することです。
次回は、こうした問題を踏まえた上で、「多様な生き方」を本当に支える制度になっているのかを問い直します。

参考

日本経済新聞
「多様性 私の視点〉遺族年金ばかり優遇、なぜ」
確定拠出年金アナリスト 大江加代氏(2026年1月26日朝刊)


という事で、今回は以上とさせていただきます。

次回以降も、よろしくお願いします。

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