欧州中央銀行(ECB)が進める「デジタルユーロ」構想が、国際通貨システムに新たな変化をもたらそうとしています。2029年の発行を目指す官製デジタル通貨(CBDC)は、ユーロ圏全域で誰もが無料で使える決済インフラとなることを想定しており、世界の主要中央銀行の中では初めて本格的な導入に踏み切る見通しです。
ECBのチポローネ専務理事は、日本銀行との知見共有にも積極姿勢を示しており、国際的な決済インフラの再構築が加速しつつあります。一方、米国ではステーブルコインが国境を越えて拡大しているため、欧州の動きは「デジタル時代の通貨覇権をどう維持するか」という戦略的な文脈を持ち始めています。
日本でも日銀がCBDCのパイロット実験を進めていますが、欧州の動きは日本にとっても重要な示唆を含んでいます。本稿では、デジタルユーロの意義、背景、課題、国際的な影響、そして日本にとっての意味を整理します。
1 デジタルユーロとは何か
デジタルユーロは、中央銀行が直接発行するデジタル形式の通貨です。
ポイントは以下の通りです。
- ユーロ圏で誰もが無料で使える公的決済手段
- 現金と同様に中央銀行の信用を背景とする
- オンライン・オフライン双方で利用可能な構想
- 決済データは中央銀行が過度に把握しないよう、匿名性と透明性のバランスを調整
欧州ではキャッシュレスが急速に広がりましたが、その多くが米国系の決済大手に依存しています。そのため、域内で完結する決済基盤の確立が政策課題となってきました。
また、ECBの調査では、デジタルユーロを知っている人の66%が利用に興味を持っているとの結果が示されています。普及可能性を示す数字として注目されています。
2 欧州がデジタルユーロに踏み切る理由
背景には次の3つの要因があります。
(1) 米国発のステーブルコインの急拡大
USDT・USDCの普及は欧州でも例外ではなく、市場によっては国境をまたいだドル経済圏が形成されています。
EUとしてはこれに依存しすぎると、決済主権を損なうリスクがあります。
(2) 域内の決済インフラが脆弱
ユーロ圏20カ国のうち13カ国は独自のカード決済網を持っておらず、ほとんどがVisa・Mastercardに依存しています。
つまり「ユーロ圏なのにユーロで統一的に決済できない」状況が続いていました。
(3) 現金利用の減少と、公的決済基盤の必要性
現金主義が強かった欧州でもキャッシュレス化が加速し、公的セクターが発行する通貨の実体験が薄れています。チポローネ専務理事は「中央銀行が主要商品である“お金”の提供で順応しないのは不合理」と述べ、デジタル環境での公的通貨の役割を強調しています。
3 普及に向けた制度設計と課題
デジタルユーロの実現には、欧州議会での審議と法整備が不可欠です。2026年までの成立を見込むものの、いくつかの課題が残ります。
(1) 預金流出と金融安定の問題
CBDCが普及すると、民間銀行から預金が流出し、金融仲介が弱まる可能性があります。そのためECBは、
- 1人あたり最大3000ユーロ(約54万円)までの保有限度
- 預金保険制度との整合性確保
- 金融機関への影響のモニタリング
といった仕組みを検討しています。
(2) 個人情報保護と匿名性の調整
利用者はプライバシーを重視する一方、中央銀行は不正利用を防ぐ必要があります。
この両立はCBDCの永遠のテーマであり、欧州でも実装段階の大きな論点になっています。
(3) 民間決済事業者との役割分担
CBDCが普及すると、民間が担ってきた決済の収益構造が変化する可能性があります。「公的の過剰な介入」となるのか、それとも「イノベーションの加速」につながるのかが注目点です。
4 日本銀行が学ぶべき3つのポイント
ECBは日銀への知見共有に積極姿勢を示しています。日本にとって注目すべき論点は次の3つです。
(1) 国際的な決済主権の確保
日本でもドル建てステーブルコインの普及は無視できません。アジア地域との貿易・資本移動でもドル依存が強く、円のデジタル化は国際競争力維持の観点で避けられない課題になりつつあります。
(2) 「現金文化」とCBDCの共存
日本は現金流通比率が高いものの、世代間で決済手段の利用が大きく異なります。
ECBは現金とデジタルを併存させつつ利便性を高める設計を採用していますが、これは日本の将来像の参考になります。
(3) 民間決済への影響をどう抑制するか
日本はキャッシュレス決済の大半が民間企業に依存しており、CBDCの導入は日本の決済エコシステムに大きな影響を与えます。欧州の「上限設定」や「銀行の資金繰りへの配慮」は、今後の制度設計において重要な示唆となります。
5 世界の通貨システムに広がる ripple effect
デジタルユーロが発行されれば、主要通貨圏(ドル圏・ユーロ圏・円圏)でのCBDC競争が現実味を帯びます。
- ドルはステーブルコインによる民間主導のデジタル化
- ユーロは官製CBDCによる公的デジタル化
- アジアでは中国のデジタル人民元が先行
これらが国際決済のあり方を再構築し、通貨の国際的なプレゼンスに影響を及ぼす可能性は大きいといえます。
結論
デジタルユーロは単なる決済手段のデジタル化ではなく、欧州が「決済主権」を守り、米国主導のステーブルコイン勢力に対抗し、域内金融基盤を強化するという大きな戦略的意味を持ちます。
2029年の発行が実現すれば、主要中央銀行によるCBDC導入の歴史的転換点となります。
日本銀行にとっても、欧州の試行錯誤は貴重な知見となるでしょう。国際決済の将来像を左右するこの動きを注視しながら、日本の制度設計がどの方向に向かうべきかを考える時期に来ています。
参考
・日本経済新聞「デジタルユーロ『日銀に知見共有』」2025年12月5日朝刊
・European Central Bank, Digital Euro Programme
・Bank of Japan, CBDCに関する取り組み(公開資料)
・BIS(国際決済銀行)CBDC調査レポート各種
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。

